ので、詮《せん》ずるに、蛇《へび》は進《すゝ》んで衣《ころも》を脱《ぬ》ぎ、蝉《せみ》は榮《さか》えて殼《から》を棄《す》てる、人《ひと》と家《いへ》とが、皆《みな》他《た》の光榮《くわうえい》あり、便利《べんり》あり、利益《りえき》ある方面《はうめん》に向《むか》つて脱出《ぬけだ》した跡《あと》には、此《この》地《ち》のかゝる俤《おもかげ》が、空蝉《うつせみ》になり脱殼《ぬけがら》になつて了《しま》ふのである。
敢《あへ》て未來《みらい》のことはいはず、現在《げんざい》既《すで》に其《そ》の姿《すがた》になつて居《ゐ》るのではないか、脱《ぬ》け出《だ》した或者《あるもの》は、鳴《な》き、且《か》つ飛《と》び、或者《あるもの》は、走《はし》り、且《か》つ食《くら》ふ、けれども衣《きぬ》を脱《ぬ》いで出《で》た蛇《へび》は、殘《のこ》した殼《から》より、必《かなら》ずしも美《うつく》しいものとはいはれない。
あゝ、まぼろしのなつかしい、空蝉《うつせみ》のかやうな風土《ふうど》は、却《かへ》つてうつくしいものを産《さん》するのか、柳屋《やなぎや》に艶麗《あでやか》な姿《すがた》が見《み》える。
與吉《よきち》は父親《ちゝおや》に命《めい》ぜられて、心《こゝろ》に留《と》めて出《で》たから、岸《きし》に上《あが》ると、思《おも》ふともなしに豆腐屋《とうふや》に目《め》を注《そゝ》いだ。
柳屋《やなぎや》は淺間《あさま》な住居《すまひ》、上框《あがりがまち》を背後《うしろ》にして、見通《みとほし》の四疊半《よでふはん》の片端《かたはし》に、隣家《となり》で帳合《ちやうあひ》をする番頭《ばんとう》と同一《おなじ》あたりの、柱《はしら》に凭《もた》れ、袖《そで》をば胸《むね》のあたりで引《ひ》き合《あ》はせて、浴衣《ゆかた》の袂《たもと》を折返《をりかへ》して、寢床《ねどこ》の上《うへ》に坐《すわ》つた膝《ひざ》に掻卷《かいまき》を懸《か》けて居《ゐ》る。背《うしろ》には綿《わた》の厚《あつ》い、ふつくりした、竪縞《たてじま》のちやん/\を着《き》た、鬱金木綿《うこんもめん》の裏《うら》が見《み》えて襟脚《えりあし》が雪《ゆき》のやう、艶氣《つやけ》のない、赤熊《しやぐま》のやうな、ばさ/\した、餘《あま》るほどあるのを天神《てんじん》に結《ゆ》つて、淺黄《あさぎ》の角
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