、八百屋《やほや》も默《だま》つて通《とほ》る。風俗《ふうぞく》も派手《はで》でない、女《をんな》の好《このみ》も濃厚《のうこう》ではない、髮《かみ》の飾《かざり》も赤《あか》いものは少《すく》なく、皆《みな》心《こゝろ》するともなく、風土《ふうど》の喪《も》に服《ふく》して居《ゐ》るのであらう。
元來《ぐわんらい》岸《きし》の柳《やなぎ》の根《ね》は、家々《いへ/\》の根太《ねだ》よりも高《たか》いのであるから、破風《はふ》の上《うへ》で、切々《きれ/″\》に、蛙《かはづ》が鳴《な》くのも、欄干《らんかん》の壞《くづ》れた、板《いた》のはなれ/″\な、杭《くひ》の拔《ぬ》けた三角形《さんかくけい》の橋《はし》の上《うへ》に蘆《あし》が茂《しげ》つて、蟲《むし》がすだくのも、船蟲《ふなむし》が群《むら》がつて往來《わうらい》を驅《か》けまはるのも、工場《こうぢやう》の煙突《えんとつ》の烟《けむり》が遙《はる》かに見《み》えるのも、洲崎《すさき》へ通《かよ》ふ車《くるま》の音《おと》がかたまつて響《ひゞ》くのも、二日《ふつか》おき三日《みつか》置《お》きに思出《おもひだ》したやうに巡査《じゆんさ》が入《はひ》るのも、けたゝましく郵便脚夫《いうびんきやくふ》が走込《はしりこ》むのも、烏《からす》が鳴《な》くのも、皆《みな》何《なん》となく土地《とち》の末路《まつろ》を示《しめ》す、滅亡《めつばう》の兆《てう》であるらしい。
けれども、滅《ほろ》びるといつて、敢《あへ》て此《こ》の部落《ぶらく》が無《な》くなるといふ意味《いみ》ではない、衰《おとろ》へるといふ意味《いみ》ではない、人《ひと》と家《いへ》とは榮《さか》えるので、進歩《しんぽ》するので、繁昌《はんじやう》するので、やがて其《その》電柱《でんちう》は眞直《まつすぐ》になり、鋼線《はりがね》は張《はり》を持《も》ち、橋《はし》がペンキ塗《ぬり》になつて、黒塀《くろべい》が煉瓦《れんぐわ》に換《かは》ると、蛙《かはづ》、船蟲《ふなむし》、そんなものは、不殘《のこらず》石灰《いしばひ》で殺《ころ》されよう。即《すなは》ち人《ひと》と家《いへ》とは、榮《さか》えるので、恁《かゝ》る景色《けしき》の俤《おもかげ》がなくならうとする、其《そ》の末路《まつろ》を示《しめ》して、滅亡《めつばう》の兆《てう》を表《あら》はす
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