と尻餅を支《つ》くと、血声を絞って、
「火事だ! 同役、三右衛門、火事だ。」と喚《わめ》く。
「何だ。」
 と、雑所も棒立ちになったが、物狂わしげに、
「なぜ、投げる。なぜ茱萸《ぐみ》を投附ける。宮浜。」
 と声を揚げた。廊下をばらばらと赤く飛ぶのを、浪吉が茱萸を擲《なげう》つと一目見たのは、矢を射るごとく窓硝子《まどがらす》を映《さ》す火の粉であった。
 途端に十二時、鈴《りん》を打つのが、ブンブンと風に響くや、一つずつ十二ヶ所、一時に起る摺半鉦《すりばん》、早鐘。
 早や廊下にも烟《けむり》が入って、暗い中から火の空を透かすと、学校の蒼《あお》い門が、真紫に物凄《ものすご》い。
 この日の大火は、物見の松と差向う、市の高台の野にあった、本願寺末寺の巨刹《おおでら》の本堂床下から炎を上げた怪し火で、ただ三時《みとき》が間に市の約全部を焼払った。
 烟は風よりも疾《と》く、火は鳥よりも迅《はや》く飛んだ。
 人畜の死傷少からず。
 火事の最中、雑所先生、袴《はかま》の股立《ももだち》を、高く取ったは効々《かいがい》しいが、羽織も着ず……布子の片袖|引断《ひっちぎ》れたなりで、足袋跣足《
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