」
三
「嬢ちゃん坊ちゃん。」
と先生はちょっと口の裡《うち》で繰返したが、直ぐにその意味《こころ》を知って頷《うなず》いた。今年|九歳《ここのつ》になる、校内第一の綺麗《きれい》な少年、宮浜浪吉といって、名まで優しい。色の白い、髪の美しいので、源助はじめ、嬢ちゃん坊ちゃん、と呼ぶのであろう?……
「しょんぼりしている。小使溜《こづかいだまり》に。」
「時ならぬ時分に、部屋へぼんやりと入って来て、お腹が痛むのかと言うて聞いたでござりますが、雑所先生が小使溜へ行っているように仰有《おっしゃ》ったとばかりで、悄《しお》れ返っておりまする。はてな、他《ほか》のものなら珍らしゅうござりませぬ。この児《こ》に限って、悪戯《いたずら》をして、課業中、席から追出されるような事はあるまいが、どうしたものじゃ。……寒いで、まあ、当りなさいと、炉の縁へ坐らせまして、手前も胡坐《あぐら》を掻《か》いて、火をほじりほじり、仔細《しさい》を聞きましても、何も言わずに、恍惚《うっとり》したように鬱込《ふさぎこ》みまして、あの可愛げに掻合《かきあわ》せた美しい襟に、白う、そのふっくらとした顋《あご》を附着《くッつ》けて、頻《しき》りとその懐中《ふところ》を覗込《のぞきこ》みますのを、じろじろ見ますと、浅葱《あさぎ》の襦袢《じゅばん》が開《はだ》けまするまで、艶々《つやつや》露も垂れるげな、紅《べに》を溶いて玉にしたようなものを、溢《こぼ》れまするほど、な、貴方様《あなたさま》。」
「むむそう。」
と考えるようにして、雑所はまた頷く。
「手前、御存じの少々|近視眼《ちかめ》で。それへこう、霞《かすみ》が掛《かか》りました工合《ぐあい》に、薄い綺麗な紙に包んで持っているのを、何か干菓子ででもあろうかと存じました処。」
「茱萸《ぐみ》だ。」と云って雑所は居直る。話がここへ運ぶのを待構えた体《てい》であった。
「で、ござりまするな。目覚める木の実で、いや、小児《こども》が夢中になるのも道理でござります。」と感心した様子に源助は云うのであった。
青梅もまだ苦い頃、やがて、李《すもも》でも色づかぬ中《うち》は、実際|苺《いちご》と聞けば、小蕪《こかぶ》のように干乾《ひから》びた青い葉を束ねて売る、黄色な実だ、と思っている、こうした雪国では、蒼空《あおぞら》の下に、白い日で暖く蒸す茱萸の実の、枝も撓々《たわわ》な処など、大人さえ、火の燃ゆるがごとく目に着くのである。
「家《うち》から持ってござったか。教場へ出て何の事じゃ、大方そのせいで雑所様に叱られたものであろう。まあ、大人しくしていなさい、とそう云うてやりまして、実は何でござります。……あの児《こ》のお詫《わび》を、と間を見ておりました処を、ちょうどお召でござりまして、……はい。何も小児でござります。日頃が日頃で、ついぞ世話を焼かした事の無い、評判の児でござりまするから、今日《こんにち》の処は、源助、あの児になりかわりまして御訴訟。はい、気が小さいかいたして、口も利けずに、とぼんとして、可哀《かわい》や、病気にでもなりそうに見えまするがい。」と揉手《もみで》をする。
「どうだい、吹く事は。酷《ひど》いぞ。」
と窓と一所に、肩をぶるぶると揺《ゆす》って、卓子《テエブル》の上へ煙管《きせる》を棄《す》てた。
「源助。」
と再度|更《あらたま》って、
「小児《こども》が懐中《ふところ》の果物なんか、袂《たもと》へ入れさせれば済む事よ。
どうも変に、気に懸《かか》る事があってな、小児どころか、お互に、大人が、とぼんとならなければ可《い》いが、と思うんだ。
昨日夢を見た。」
と注《つ》いで置きの茶碗に残った、冷《つめた》い茶をがぶりと飲んで、
「昨日な、……昨夜《ゆうべ》とは言わん。が、昼寝をしていて見たのじゃない。日の暮れようという、そちこち、暗くなった山道だ。」
「山道の夢でござりまするな。」
「否《や》、実際山を歩行《ある》いたんだ。それ、日曜さ、昨日は――源助、お前は自《おのず》から得ている。私は本と首引《くびッぴ》きだが、本草《ほんぞう》が好物でな、知ってる通り。で、昨日ちと山を奥まで入った。つい浮々《うかうか》と谷々へ釣込まれて。
こりゃ途中で暗くならなければ可《い》いが、と山の陰がちと憂慮《きづか》われるような日ざしになった。それから急いで引返したのよ。」
四
「山時分じゃないから人ッ子に逢《あ》わず。また茸狩《たけがり》にだって、あんなに奥まで行《ゆ》くものはない。随分|路《みち》でもない処を潜ったからな。三ツばかり谷へ下りては攀上《よじのぼ》り、下りては攀上りした時は、ちと心細くなった。昨夜《ゆうべ》は野宿かと思ったぞ。
でもな、秋とは違って、日の入《い
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