いもの》を世話して、艀《はしけ》に移りぬ。
 艀《はしけ》は鎖《くさり》を解《と》きて本船と別るる時、乗客は再び観音丸《かんのんまる》と船長との万歳を唱《とな》えぬ。甲板《デッキ》に立てる船長は帽《ぼう》を脱《だっ》して、満面に微笑《えみ》を湛《たた》えつつ答礼せり。艀《はしけ》は漕出《こぎいだ》したり。陸《りく》を去る僅《わずか》に三|町《ちょう》、十分間にして達すべきなり。
 折から一天《いってん》俄《にわか》に掻曇《かきくも》りて、※[#「風にょう+炎」、第4水準2−92−35]《ど》と吹下す風は海原を揉立《もみた》つれば、船は一支《ひとささえ》も支《ささ》えず矢を射るばかりに突進して、無二無三《むにむさん》に沖合へ流されたり。
 舳櫓《ともろ》を押せる船子《ふなこ》は慌《あわ》てず、躁《さわ》がず、舞上《まいあ》げ、舞下《まいさぐ》る浪《なみ》の呼吸を量《はか》りて、浮きつ沈みつ、秘術を尽して漕《こ》ぎたりしが、また一時《ひときり》暴増《あれまさ》る風の下に、瞻《みあぐ》るばかりの高浪《たかなみ》立ちて、ただ一呑《ひとのみ》と屏風倒《びょうぶだおし》に頽《くず》れんずる凄《すさ
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