百|石積《こくづみ》を家として、荒海を漕廻《こぎまわ》していた曲者《くせもの》なのだ。新潟から直江津ね、佐渡|辺《あたり》は持場《もちば》であッたそうだ。中年《ちゅうねん》から風眼《ふうがん》を病《わず》らッて、盲《つぶ》れたんだそうだが、別に貧乏というほどでもないのに、舟を漕《こ》がんと飯《めし》が旨《うま》くないという変物《へんぶつ》で、疲曳《よぼよぼ》の盲目《めくら》で在《い》ながら、つまり洒落《しゃれ》半分に渡《わたし》をやッていたのさ。
 乗合《のりあい》に話好《はなしずき》の爺様《じいさん》が居《い》て、それが言ッたよ。上手な船頭は手先で漕《こ》ぐ。巧者《こうしゃ》なのは眼で漕《こ》ぐ。それが名人となると、肚《はら》で漕《こ》ぐッ。これは大《おお》いにそうだろう。沖で暴風《はやて》でも吃《く》ッた時には、一寸先は闇だ。そういう場合には名人は肚《はら》で漕《こ》ぐから確《たしか》さ。
 生憎《あいにく》この近眼だから、顔は瞭然《はっきり》見えなかッたが、咥煙管《くわえぎせる》で艪を押すその持重加減《おちつきかげん》! 遖《あっぱ》れ見物《みもの》だッたよ。」
 饒舌《じょうぜ
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