さ。
 途中で、都らしい女に逢ったら、私はもう一度車を飛下《とびお》りて、手も背《せな》もかしたであろう。――判官《ほうがん》にあこがるる、静《しずか》の霊を、幻に感じた。
「あれは、鮭《さけ》かい。」
 すれ違って一人、溌剌《はつらつ》[#「剌」は底本では「刺」]たる大魚《おおうお》を提《さ》げて駈通《かけとお》ったものがある。
「鱒《ます》だ、――北上川で取れるでがすよ。」
 ああ、あの川を、はるばると――私は、はじめて一条《ひとすじ》長く細く水の糸を曳《ひ》いて、魚《うお》の背《せ》とともに動く状《さま》を目に宿したのである。
「あれは、はあ、駅長様の許《とこ》へ行《ゆ》くだかな。昨日《きのう》も一尾《いっぴき》上《あが》りました。その鱒は停車場《ていしゃば》前の小河屋《おがわや》で買ったでがすよ。」
「料理屋かね。」
「旅籠屋《はたごや》だ。新築でがしてな、まんずこの辺では彼店《あすこ》だね。まだ、旦那、昨日はその上に、はい鯉《こい》を一尾《いっぴき》買入れたでなあ。」
「其処《そこ》へ、つけておくれ、昼食《ちゅうじき》に……」
 ――この旅籠屋は深切《しんせつ》であった。

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