の仏たち、大《おおき》な石地蔵《いしじぞう》も凄《すご》いように活きていらるる。
下向《げこう》の時、あらためて、見霽《みはらし》の四阿《あずまや》に立った。
伊勢、亀井《かめい》、片岡《かたおか》、鷲尾《わしのお》、四天王の松は、畑中《はたなか》、畝《あぜ》の四処《よところ》に、雲を鎧《よろ》い、※[#「瑤のつくり+系」、第3水準1−90−20]糸《ゆるぎいと》の風を浴びつつ、或《ある》ものは粛々《しゅくしゅく》として衣河《ころもがわ》に枝を聳《そびや》かし、或《ある》ものは恋々《れんれん》として、高館《たかだち》に梢《こずえ》を伏せたのが、彫像の如くに視《なが》めらるる。
その高館《たかだち》の址《あと》をば静《しずか》にめぐって、北上川の水は、はるばる、瀬もなく、音もなく、雲の涯《はて》さえ見えず、ただ(はるばる)と言うように流るるのである。
「この奥に義経公《よしつねこう》。」
車夫《くるまや》の言葉に、私は一度|俥《くるま》を下りた。
帰途は――今度は高館を左に仰いで、津軽青森まで、遠く続くという、まばらに寂しい松並木の、旧街道を通ったのである。
松並木の心細
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