《きよひら》存生《ぞんじょう》の時、自在坊《じざいぼう》蓮光《れんこう》といへる僧に命じ、一切経書写の事を司《つかさど》らしむ。三千日が間、能書《のうしょ》の僧数百人を招請《しょうせい》し、供養し、これを書写せしめしとなり。余《よ》もこの経を拝見せしに、その書体|楷法《かいほう》正しく、行法《ぎょうほう》また精妙にして――
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と言うもの即《すなわち》これである。
ちょっと(この寺のではない)或《ある》案内者に申すべき事がある。君が提《ささ》げて持った鞭だ。が、遠くの掛軸《かけじく》を指し、高い処《ところ》の仏体を示すのは、とにかく、目前に近々《ちかぢか》と拝まるる、観音勢至《かんおんせいし》の金像《きんぞう》を説明すると言って、御目《おんめ》、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹の尖《さき》を振うのは勿体《もったい》ない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども、作《さく》がいいだけに、瞬《またたき》もしたまいそうで、さぞお鬱陶《うっとう》しかろうと思う。
俥《くるま》は寂然《しん》とした夏草塚《なつくさづか》の傍《そば》に、小さく見えて待っていた。まだ葉ばかりの菖蒲《あやめ》杜若《かきつばた》が隈々《くまぐま》に自然と伸びて、荒れたこの広い境内《けいだい》は、宛然《さながら》沼の乾いたのに似ていた。
別に門らしいものもない。
此処《ここ》から中尊寺《ちゅうそんじ》へ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いた茅《かや》の屋根にも、路傍《みちばた》の地蔵尊《じぞうそん》にも、一々《いちいち》由緒のあるのを、車夫《わかいしゅ》に聞きながら、金鶏山《きんけいざん》の頂《いただき》、柳の館《たち》あとを左右に見つつ、俥《くるま》は三代の豪奢《ごうしゃ》の亡びたる、草の径《こみち》を静《しずか》に進む。
山吹がいまを壮《さかり》に咲いていた。丈高《たけたか》く伸びたのは、車の上から、花にも葉にも手が届く。――何処《どこ》か邸《やしき》の垣根|越《ごし》に、それも偶《たま》に見るばかりで、我ら東京に住むものは、通りがかりにこの金衣《きんい》の娘々《じょうじょう》を見る事は珍しいと言っても可《よ》い。田舎の他土地《ほかとち》とても、人家の庭、背戸《せど》なら格別、さあ、手折《たお》っても抱いてもいい
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