す頃から、音もせず、霧雨になって、遠近《おちこち》に、まばらな田舎家《いなかや》の軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。
 次第に、麦も、田も色には出たが、菜種《なたね》の花も雨にたたかれ、畠《はたけ》に、畝《あぜ》に、ひょろひょろと乱れて、女郎花《おみなえし》の露を思わせるばかり。初夏はおろか、春の闌《たけなわ》な景色とさえ思われない。
 ああ、雲が切れた、明《あかる》いと思う処《ところ》は、
「沼だ、ああ、大《おおき》な沼だ。」
 と見る。……雨水が渺々《びょうびょう》として田を浸《ひた》すので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。……処々《ところどころ》巌《いわ》蒼く、ぽっと薄紅《うすあか》く草が染まる。嬉《うれ》しや日が当ると思えば、角《つの》ぐむ蘆《あし》に交《まじ》り、生茂《おいしげ》る根笹《ねざさ》を分けて、さびしく石楠花《しゃくなげ》が咲くのであった。
 奥の道は、いよいよ深きにつけて、空は弥《いや》が上に曇った。けれども、志《こころざ》す平泉《ひらいずみ》に着いた時は、幸いに雨はなかった。
 そのかわり、俥《くるま》に寒い風が添ったのである。
 ――さて、毛越寺では、運慶《うんけい》の作と称《とな》うる仁王尊《におうそん》をはじめ、数ある国宝を巡覧せしめる。
「御参詣の方にな、お触《さわ》らせ申しはいたさんのじゃが、御信心かに見受けまするで、差支えませぬ。手に取って御覧なさい、さ、さ。」
 と腰袴《こしばかま》で、細いしない竹の鞭《むち》を手にした案内者の老人が、硝子蓋《がらすぶた》を開けて、半ば繰開《くりひら》いてある、玉軸金泥《ぎょくじくこんでい》の経《きょう》を一巻、手渡しして見せてくれた。
 その紺地《こんじ》に、清く、さらさらと装上《もりあが》った、一行金字《いちぎょうきんじ》、一行銀書《いちぎょうぎんしょ》の経である。
 俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした心持《こころもち》かも知れない。尊《たっと》い文字は、掌《て》に一字ずつ幽《かすか》に響いた。私は一拝《いっぱい》した。
「清衡朝臣《きよひらあそん》の奉供《ぶぐ》、一切経《いっさいきょう》のうちであります――時価で申しますとな、唯《ただ》この一巻でも一万円以上であります。」
 橘《たちばな》南谿《なんけい》の東遊記《とうゆうき》に、
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これは清衡
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