の仏たち、大《おおき》な石地蔵《いしじぞう》も凄《すご》いように活きていらるる。
 下向《げこう》の時、あらためて、見霽《みはらし》の四阿《あずまや》に立った。
 伊勢、亀井《かめい》、片岡《かたおか》、鷲尾《わしのお》、四天王の松は、畑中《はたなか》、畝《あぜ》の四処《よところ》に、雲を鎧《よろ》い、※[#「瑤のつくり+系」、第3水準1−90−20]糸《ゆるぎいと》の風を浴びつつ、或《ある》ものは粛々《しゅくしゅく》として衣河《ころもがわ》に枝を聳《そびや》かし、或《ある》ものは恋々《れんれん》として、高館《たかだち》に梢《こずえ》を伏せたのが、彫像の如くに視《なが》めらるる。
 その高館《たかだち》の址《あと》をば静《しずか》にめぐって、北上川の水は、はるばる、瀬もなく、音もなく、雲の涯《はて》さえ見えず、ただ(はるばる)と言うように流るるのである。
 
「この奥に義経公《よしつねこう》。」
 車夫《くるまや》の言葉に、私は一度|俥《くるま》を下りた。
 帰途は――今度は高館を左に仰いで、津軽青森まで、遠く続くという、まばらに寂しい松並木の、旧街道を通ったのである。
 松並木の心細さ。
 途中で、都らしい女に逢ったら、私はもう一度車を飛下《とびお》りて、手も背《せな》もかしたであろう。――判官《ほうがん》にあこがるる、静《しずか》の霊を、幻に感じた。
「あれは、鮭《さけ》かい。」
 すれ違って一人、溌剌《はつらつ》[#「剌」は底本では「刺」]たる大魚《おおうお》を提《さ》げて駈通《かけとお》ったものがある。
「鱒《ます》だ、――北上川で取れるでがすよ。」
 ああ、あの川を、はるばると――私は、はじめて一条《ひとすじ》長く細く水の糸を曳《ひ》いて、魚《うお》の背《せ》とともに動く状《さま》を目に宿したのである。
「あれは、はあ、駅長様の許《とこ》へ行《ゆ》くだかな。昨日《きのう》も一尾《いっぴき》上《あが》りました。その鱒は停車場《ていしゃば》前の小河屋《おがわや》で買ったでがすよ。」
「料理屋かね。」
「旅籠屋《はたごや》だ。新築でがしてな、まんずこの辺では彼店《あすこ》だね。まだ、旦那、昨日はその上に、はい鯉《こい》を一尾《いっぴき》買入れたでなあ。」
「其処《そこ》へ、つけておくれ、昼食《ちゅうじき》に……」
 ――この旅籠屋は深切《しんせつ》であった。

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