――拝見をいたしました。」
「はい。」
 と腰衣《こしごろも》の素足で立って、すっと、経堂を出て、朴歯《ほおば》の高足駄《たかあしだ》で、巻袖《まきそで》で、寒く細《ほっそ》りと草を行《ゆ》く。清らかな僧であった。
「弁天堂を案内しますで。」
 と車夫《わかいしゅ》が言った。
 向うを、墨染《すみぞめ》で一人|行《ゆ》く若僧《にゃくそう》の姿が、寂《さび》しく、しかも何となく貴《とうと》く、正に、まさしく彼処《かしこ》におわする……天女の御前《おんまえ》へ、われらを導く、つつましく、謙譲なる、一個のお取次のように見えた。
 かくてこそ法師たるものの効《かい》はあろう。
 世に、緋、紫、金襴《きんらん》、緞子《どんす》を装《よそお》うて、伽藍《がらん》に処すること、高家諸侯《こうけだいみょう》の如く、あるいは仏菩薩《ぶつぼさつ》の玄関番として、衆俗《しゅうぞく》を、受附で威張《いば》って追払《おっぱら》うようなのが少くない。
 そんなのは、僧侶なんど、われらと、仏神の中を妨ぐる、姑《しゅうと》だ、小姑《こじゅうと》だ、受附だ、三太夫だ、邪魔ものである。
 衆生《しゅじょう》は、きゃつばらを追払《おいはら》って、仏にも、祖師にも、天女にも、直接《じか》にお目にかかって話すがいい。
 時に、経堂を出た今は、真昼ながら、月光に酔《よ》[#ルビの「よ」は底本ではは「え」]い、桂《かつら》の香《か》に巻かれた心地がして、乱れたままの道芝《みちしば》を行くのが、青く清明なる円《まる》い床を通るようであった。
 階《きざはし》の下に立って、仰ぐと、典雅温優《てんがおんゆう》なる弁財天《べんざいてん》の金字《きんじ》に縁《ふち》して、牡丹花《ぼたんか》の額《がく》がかかる。……いかにや、年ふる雨露《あめつゆ》に、彩色《さいしき》のかすかになったのが、木地《きじ》の胡粉《ごふん》を、かえってゆかしく顕《あら》わして、萌黄《もえぎ》に群青《ぐんじょう》の影を添え、葉をかさねて、白緑碧藍《はくりょくへきらん》の花をいだく。さながら瑠璃《るり》の牡丹である。
 ふと、高縁《たかえん》の雨落《あまおち》に、同じ花が二、三輪咲いているように見えた。
 扉がギイ、キリキリと……僧の姿は、うらに隠れつつ、見えずに開く。
 ぽかんと立ったのが極《きまり》が悪い。
 ああ、もう彼処《あすこ》から透見《す
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