髴《ほうふつ》として舞いつつ、かなでつつ浮出《うきで》ている。影をうけた束《つか》、貫《ぬき》の材は、鈴と草の花の玉の螺鈿《らでん》である。
漆塗《うるしぬり》、金の八角《はちかく》の台座には、本尊、文珠師利《もんじゅしり》、朱の獅子に騎《き》しておわします。獅子の眼《まなこ》は爛々《らんらん》として、赫《かっ》と真赤な口を開けた、青い毛の部厚な横顔が視《み》られるが、ずずッと足を挙げそうな構えである。右にこの轡《くつわ》を取って、ちょっと振向いて、菩薩《ぼさつ》にものを言いそうなのが優※[#「門<眞」、第3水準1−93−54]玉《ゆうてんぎょく》、左に一匣《いっこう》を捧げたのは善哉童子《ぜんざいどうじ》。この両側左右の背後に、浄名居士《じょうみょうこじ》と、仏陀波利《ぶっだはり》が一《ひとつ》は払子《ほっす》を振り、一《ひとつ》は錫杖《しゃくじょう》に一軸《いちじく》を結んだのを肩にかつぐように杖《つ》いて立つ。額《ひたい》も、目も、眉も、そのいずれも莞爾莞爾《にこにこ》として、文珠《もんじゅ》も微笑《ほほえ》んでまします。第一獅子が笑う、獅子が。
この須弥壇《しゅみだん》を左に、一架《いっか》を高く設けて、ここに、紺紙金泥《こんしきんでい》の一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは金泥銀泥《きんでいぎんでい》で、本経《ほんきょう》の図解を描く。……清麗巧緻《せいれいこうち》にしてかつ神秘である。
いま此処《ここ》に来てこの経を視《み》るに、毛越寺の彼はあたかも砂金を捧ぐるが如く、これは月光を仰ぐようであった。
架《か》の裏に、色の青白い、痩《や》せた墨染《すみぞめ》の若い出家が一人いたのである。
私の一礼に答えて、
「ご緩《ゆる》り、ご覧なさい。」
二、三の散佚《さんいつ》はあろうが、言うまでもなく、堂の内壁《ないへき》にめぐらした八《やつ》の棚に満ちて、二代|基衡《もとひら》のこの一切経《いっさいきょう》、一代|清衡《きよひら》の金銀泥一行《きんぎんでいいちぎょう》まぜ書《がき》の一切経、並《ならび》に判官贔屓《ほうがんびいき》の第一人者、三代|秀衡《ひでひら》老雄の奉納した、黄紙宋板《おうしそうばん》の一切経が、みな黒燿《こくよう》の珠玉の如く漆《うるし》の架《か》に満ちている。――一切経の全部量は、七駄片馬《しちだかたうま》と称うるのである。
「
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