事を吐《ぬか》す癖に、朝烏《あさがらす》の、朝桜、朝露《あさつゆ》の、朝風で、朝飯を急ぐ和郎《わろ》だ。何だ、仇花《あだばな》なりとも、美しく咲かして置けば可《い》い事だ。から/\からと笑はせるな。お互に此処《ここ》に何して居る。其の虹《にじ》の散るのを待つて、やがて食《く》はう、突かう、嘗《な》めう、しやぶらうと、毎夜、毎夜、此の間《あいだ》、……咽喉《のど》、嘴《くちばし》を、カチ/\と噛鳴《かみな》らいて居《お》るのでないかい。
二の烏 然《さ》ればこそ待つて居る。桜の枝を踏めばと云つて、虫の数ほど花片《はなびら》も露《つゆ》もこぼさぬ俺たちだ。此のたびの不思議な其の大輪《たいりん》の虹の台《うてな》、紅玉《こうぎょく》の蕊《しべ》に咲いた花にも、俺たちが、何と、手を着けるか。雛芥子《ひなげし》が散つて実《み》に成るまで、風が誘ふを視《なが》めて居るのだ。色には、恋には、情《なさけ》には、其の咲く花の二人を除《の》けて、他《ほか》の人間は大概風だ。中にも、ぬしと云ふものはな、主人《あるじ》と云ふものはな、淵《ふち》に棲《す》むぬし、峰にすむ主人《あるじ》と同じで、此が暴風雨《あら
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