わ。お庇《かげ》で舌の根が弛《ゆる》んだ。癪《しゃく》だがよ、振放して素飛《すっと》ばいたまでの事だ。な、それが源《もと》で、人間が何をしょうと、かをしょうと、さっぱり俺が知った事ではあるまい。
二の烏 道理かな、説法かな。お釈迦様《しゃかさま》より間違いのない事を云うわ。いや、またお一どのの指環を銜えたのが悪ければ、晴上がった雨も悪し、ほかほかとした陽気も悪し、虹も悪い、と云わねばならぬ。雨や陽気がよくないからとて、どうするものだ。得ての、空の美しい虹の立つ時は、地にも綺麗な花が咲くよ。芍薬《しゃくやく》か、牡丹《ぼたん》か、菊か、猿《えて》が折って蓑《みの》にさす、お花畑のそれでなし不思議な花よ。名も知れぬ花よ。ざっと虹のような花よ。人間の家《や》の中《うち》に、そうした花の咲くのは壁にうどんげの開くとおなじだ。俺たちが見れば、薄暗い人間界に、眩《まぶし》い虹のような、その花のパッと咲いた処は鮮麗《あざやか》だ。な、家を忘れ、身を忘れ、生命《いのち》を忘れて咲く怪しい花ほど、美しい眺望《ながめ》はない。分けて今度の花は、お一どのが蒔《ま》いた紅《あか》い玉から咲いたもの、吉野紙の霞
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