ある士《さむらい》がしばし世を忍ぶ生計《たつき》によくある私塾を開いた。温厚|篤実《とくじつ》、今の世には珍らしい人物で、且つ博学で、恐らく大学に業を修したのであろうと、中学校の生意気なのが渡りものと侮って冷かしに行って舌を巻いたことさえあるから、教子《おしえご》も多く、皆敬い、懐《なず》いていたが、日も経《た》たず目を煩って久しく癒《い》えないので、英書を閲《けみ》し、数字を書くことが出来なくなったので、弟子は皆断った。直ちに収入がなくなったのである。
先生|葎《むぐら》ではございますが、庭も少々、裏が山|続《つづき》で風も佳《よし》、市《まち》にも隔って気楽でもございますから御保養かたがたと、たって勧めてくれたのが、同じ教子の内に頭角を抜いて、代稽古《だいげいこ》も勤まった力松という、すなわちお雪の兄で、傍ら家計を支えながら学問をしていたが、適齢に合格して金沢の兵営に入ったのは去年の十月。
後はこの侘住居《わびすまい》に、拓と阿《お》雪との二人のみ。拓は見るがごとく目を煩って、何をする便《たより》もないので、うら若い身で病人を達引《たてひ》いて、兄の留守を支えている。お雪は相馬
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