侘《わび》しいのであるが、お雪が、朝、晩、花売に市へ行く、出際と、帰ってからと、二度ずつ襷懸《たすきが》けで拭込《ふきこ》むので、朽目《くちめ》に埃《ほこり》も溜《たま》らず、冷々《ひやひや》と濡色を見せて涼しげな縁に端居《はしい》して、柱に背《せな》を持たしたのは若山|拓《ひらく》、煩《わずらい》のある双の目を塞《ふさ》いだまま。
 生《うまれ》は東京で、氏素性は明かでない。父も母も誰も知らず、諸国漫遊の途次、一昨年の秋、この富山に来て、旅籠町の青柳《あおやぎ》という旅店に一泊した。その夜《よ》賊のためにのこらず金子《きんす》を奪われて、明《あく》る日の宿料もない始末。七日十日|逗留《とうりゅう》して故郷へ手紙を出した処で、仔細《しさい》あって送金の見込はないので、進退|谷《きわ》まったのを、宜《よろ》しゅうがすというような気前の好《い》い商人《あきんど》はここにはない。ただし地方裁判所の検事に朝野なにがしというのが、その為人《ひととなり》に見る所があって、世話をして、足を留《とど》めさせたということを、かつて教《おしえ》を受けた学生は皆知っている。若山は、昔なら浪人の手習師匠、由緒
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