はない、何じゃ、あれじゃ。その、色事の看板目印というやつじゃ。まだ方々にあるわい。試みに四五軒見しょう、一所に来う、歩きながら話そうで。まずの、」
 才子と豪傑は、鼠のセル地と白薩摩で小路の黄昏《たそがれ》の色に交《まじ》り、くっ着いて、並んで歩く。
 ここに注意すべきは多磨太が穿物《はきもの》である。いかに辺幅を修せずといって、いやしくも警部長の令息で、知事の君の縁者、勇美子には再従兄《またいとこ》に当る、紳士島野氏の道伴《みちづれ》で、護謨靴と歩を揃えながら、何たる事! 藁草履《わらぞうり》の擦切れたので、埃《ほこり》をはたはた。
 歩きながら袂を探って、手帳と、袂草《たもとくそ》と一所くたに掴《つか》み出した。
「これ見い、」
 紳士は軽く目を注いで、
「白墨かい。」
「はははは、白墨じゃが、何と、」
「それで、」と言懸けて、衣兜《かくし》に堆《うずだか》く、挟んでおく、手巾《ハンケチ》の白いので口の辺《あたり》をちょいと拭《ふ》いた。
「うむ、おりゃ、近頃博愛主義になってな、同好の士には皆《みんな》見せてやる事にした。あえてこの慰《なぐさみ》を独擅《どくせん》にせんのじゃで、到
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