ばんとする声も己《おの》が耳には入《い》らなかった。
鷲がその三回目の襲撃を試みない瞬間、白い花も動かず、二人は熟《じっ》として石に化したもののように見えた。やがて少年は袂を探って、一本《ひともと》の花を取出した。学識ある理学士が夢中の目は、直ちにそれを黒百合の花と認めたのである。
これがためにこそ餓えたり、傷付いたれ、物怪《もののけ》ある山に迷うたれ。荒鷲には襲わるる、少年の身に添えて守っていたと覚ゆるのを、掴《つか》むがごとく引出《ひきいだ》して、やにわに手を懸けて※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》り棄てようとした趣であった。けれども、お雪が物いいたげに瞳を動かして、衝《つ》と胸を抱いて立ったのを、卑《いやし》むがごとく、嘲《あざ》けるがごとく、憎むがごとく、はた憐《あわれ》むがごとくに熟《じっ》と見て、舌打して、そのまま黒百合をお雪の手に与えると斉《ひと》しく、巌を放れてすっくと立って、
「不可《いけ》ねえや、お前《めえ》良人《ていし》があるんなら、おいら一所に死ぬのは厭だぜ。じゃあ、おい勝手にしねえ。」
といい棄てて、身を飜すとたちまち歩き去った。
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