その可愛い、品のある容子《ようす》に似ず、また極めて殺伐《さつばつ》で、ものの生命《いのち》を取ることを事ともしない。蝶、蜻蛉《とんぼ》、蟻《あり》、蚯蚓《みみず》、目を遮るに任せてこれを屠殺《とさつ》したが、馴るるに従うて生類を捕獲するすさみに熟して、蝙蝠《こうもり》などは一たび干棹《ほしざお》を揮《ふる》えば、立処《たちどころ》に落ちたのである。虫も蛙となり、蛇となって、九ツ十ウに及ぶ頃は、薪雑棒《まきざっぽう》で猫を撃《う》って殺すようになった。あのね、ぶん撲《なぐ》るとね、飛着くよ。その時は何でもないの、もうちッと酷《ひど》くくらわすと、丸ッこくなってね、フッてんだ。呻《うな》っておっかねえ目をするよ、恐いよ。そこをも一ツ打《ぶ》つところりと死ぬさ。でもね、坊はね、あのはじめの内は手が震えてね、そこで止《よ》しちゃッたい。今じゃ、化猫わけなしだと、心得澄したもので。あれさ妄念《もうねん》が可恐《おそろ》しい、化けて出るからお止しよといえば、だから坊はね、おいらのせいじゃあないぞッて、そう言わあ。滝太郎はものの命を取る時に限らず、するな、止せ、不可《いけな》いと人のいうことをあえてする時は、手を動かしながら、幾たびも俺《おいら》のせいじゃないぞと、口癖のようにいつも言う。
 井戸端で水を浴びたり、合長屋の障子を、ト唾《つば》で破いて、その穴から舌を出したり、路地の木戸を石※[#「石+鬼」、第4水準2−82−48]《いしころ》でこつこつやったり、柱を釘で疵《きず》をつけたり、階子《はしご》を担いで駆出すやら、地蹈鞴《じだんだ》を蹈《ふ》んで唱歌を唄うやら、物真似は真先《まっさき》に覚えて来る、喧嘩の対手《あいて》は泣かせて帰る。ある時も裏町の人数八九名に取占《とっち》められて路地内へ遁《に》げ込むのを、容赦なく追詰めると、滝は廂《ひさし》を足場にある長屋の屋根へ這上《はいあが》って、瓦《かわら》を捲《ま》くって投出した。やんちゃんもここに至っては棄置かれず、言付け口をするも大人げないと、始終|蔭言《かげごと》ばかり言っていた女房《かみさん》達、耐《たま》りかねて、ちと滝太郎を窘《たし》なめるようにと、夜《よ》に入《い》ってから帰る母親に告げた事がある。
 しかるに、近所では美しいと、しおらしいで評判の誉物《ほめもの》だった母親が、毫《ごう》もこれを真《まこと》とはしない。ただそうですか済みませんとばかり、人前では当らず障らずに挨拶をして、滝や、滝やと不断の通り優《やさ》しい声。
 それもその筈《はず》、滝は他に向って乱暴|狼藉《ろうぜき》[#ルビの「ろうぜき」は底本では「ろうせき」]を極め、憚《はばか》らず乳虎《にゅうこ》の威を揮《ふる》うにもかかわらず、母親の前では大《おおき》な声でものも言わず、灯頃《ひともしころ》辻の方に母親の姿が見えると、駆出して行って迎えて帰る。それからは畳を歩行《ある》く跫音《あしおと》もしない位、以前の俤《おもかげ》の偲《しの》ばるる鏡台の引出《ひきだし》の隅に残った猿屋の小楊枝《こようじ》の尖《さき》で字をついて、膝も崩さず母親の前に畏《かしこま》って、二年級のおさらいをするのが聞える。あれだから母親《おッかさん》は本当にしないのだと、隣近所では切歯《はがみ》をしてもどかしがった。
 学校は私立だったが、先生はまたなく滝太郎を可愛がって、一度同級の者と掴合《つかみあい》をして遁《に》げて帰って、それッきり、登校しないのを、先生がわざわざ母親の留守に迎《むかい》に来て連れて行って、そのために先生は他《ほか》の生徒の父兄等に信用を失って、席札は櫛《くし》の歯の折れるように透いて無くなったが、あえて意《こころ》にも留めないで、ますます滝太郎を愛育した。いかにか見処《みどころ》があったのであろう。

       三十一

 しかるに先生は教うるにいかなる事をもってしたのであるか、まさかに悪智慧《わるぢえ》を着けはしまい。前年その長屋の表町に道普請があって、向側へ砂利を装上《もりあ》げたから、この町を通る腕車荷車は不残《のこらず》路地口の際を曳《ひ》いて通ることがあった。雨が続いて泥濘《ぬかるみ》になったのを見澄して、滝太が手で掬《すく》い、丸太で掘って、地面を窪《くぼ》めておき、木戸に立って車の来るのを待っていると、窪《くぼみ》は雨溜《あめだまり》で探りが入《い》らず、来るほどの車は皆輪が喰い込んで、がたりとなる。さらぬだに持余すのにこの陥羂《おとしわな》に懸《かか》っては、後へも前《さき》へも行くのではないから、汗になって弱るのを見ると、会心の笑《えみ》を洩《も》らして滝太、おじさん押してやろう、幾干《いくら》かくんねえ、と遣ったのである。自から頼む所がなくなってはさる計《はかりごと》もしはせま
前へ 次へ
全50ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング