心得た。」
「驚いたね。」
「どうじゃ、恐入ったか。うむ、好事魔多し、月に村雲じゃろ。はははは、感多少かい、先生。」
「何もその、だからそういったじゃアありませんか。君、僕だけは格別で。」
「豈《あに》しからん、この美肉をよ、貴様一人で賞翫《しょうがん》してみい、たちまち食傷して生命に係《かかわ》るぞ。じゃから私《わし》が注意して、あらかじめ後を尾《つ》けて、好意一足の藁草履を齎《もた》らし来《きた》った訳じゃ、感謝して可いな。」
島野は苦々しい顔色《かおつき》で、
「奢ります、いずれ奢るから、まあ、君、君だって、分ってましょう。それ、だから奢りますよ、奢りますよ。」
「豚肉《とんにく》は不可《いかん》ぞ。」
「ええ、もうずっとそこン処はね。」
「何、貴様のずっとはずっと見当が違うわい。そのいわゆるずっとというのは軍鶏《しゃも》なんじゃろ、しからずんば鰻《うなぎ》か。」
「はあ、何でも、」と頷《うなず》くのを、見向もしないで。
「非《あら》ず、私《わし》が欲する処はの、熊《ゆう》にあらず、羆《ひ》にあらず、牛豚《ぎゅうとん》、軍鶏にあらず、鰻にあらず。」
「おやおや、」
「小羊の肉よ!」
「何ですって、」
「どうだ、※[#「虫+奚」、第3水準1−91−59]※[#「虫+斥」、第3水準1−91−53]《ばった》、蟷螂《かまきり》、」といいながら、お雪と島野を交《かわ》る交《がわ》る、笑顔で※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》しても豪傑だから睨《にら》むがごとし。
二十七
島野は持余した様子で、苦り切って、ただ四辺《あたり》を見廻すばかり。多磨太は藁草履の片足を脱いで、砂だらけなので毛脛《けずね》を擦《こす》った。
「蚋《ぶよ》が螫《さ》す、蚋が螫すわ。どうじゃ、歩き出そうでないか。堪《たま》らん、こりゃ、立っとッちゃあ埒《らち》明かん、さあ前《さき》へ行《い》ね、貴公。美人は真中《まんなか》よ、私《わし》は殿《しんがり》を打つじゃ、早うせい。」
島野は堪《たま》りかねて、五六歩|傍《かたわら》へ避《よ》けて目で知らせて、
「ちょいと、君、雀部さん、ちょいと。」
「何じゃ、」と裾を掴《つか》み上げて、多磨太はずかずかと寄る。
島野は真顔になって、口説くように、
「かねて承知なんじゃあないか、君、ここは一番《ひとつ》粋を通して、ずっと大目に見てくれないじゃあ困りますね。」と情《なさけ》なそうにいった。
「どうするんかい、」
「何さ、どうするッて。」
「貴公、どこへしょびくんじゃ、あの美人をよ、巧く遣りおるの。うう、」と団栗目を細うして、変な声で、えへ、えへ、えへ。
「しょびくたって何も君、まったくさ、お嬢さんが用があるそうだ。」
「嘘を吐《つ》けい、誰じゃと思うか、ああ。貴公目下のこの行為は、公の目から見ると拐帯《かどわかし》じゃよ、詐偽《さぎ》じゃな。我輩警察のために棄置かん、直ちに貴公のその額へ、白墨で、輪を付けて、交番へ引張《ひっぱ》るでな、左様《さよ》思え、はははは。」
「串戯《じょうだん》をいっちゃあ不可《いけ》ません。」
「何、構わず遣るぞ。癪《しゃく》じゃ、第一、あの美人は、私《わし》が前《さき》へ目を着けて、その一挙一動を探って、兄じゃというのが情男《いろおとこ》なことまで貴公にいうてやった位でないかい。考えてみい、いかに慇懃《いんぎん》を通じようといって、貴公ではと思うで、なぶる気で打棄《うっちゃ》っておいたわ。今夜のように連出されては、こりゃならんわい。向面《むこうづら》へ廻って断乎として妨害を試みる、汝《なんじ》にジャムあれば我に交番ありよ。来るか、対手《あいて》になるか、来い、さあ来い。両雄並び立たず、一番勝敗を決すべい。」
と腕まくりをして大乗気、手がつけられたものではない。島野もここに至って、あきらめて、ぐッと砕け、
「どうです、一ツ両雄並び立とうではありませんか、ものは相談だ。」と思切っていう。多磨太は目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って耳を聳《そばだ》てた。
「ふむ、立つか、見事両雄がな。」
「耳を、」肩を取って、口をつけ、二人は木《こ》の下蔭に囁《ささやき》を交え、手を組んで、短いのと、長いのと、四脚を揃えたのが仄《かす》かに見える。お雪は少し離れて立って、身を切裂かるる思いである。
当座の花だ、むずかしい事はない、安泊《やすどまり》へでも引摺込《ひきずりこ》んで、裂くことは出来ないが、美人《たぼ》の身体《からだ》を半分ずつよ、丶丶丶の令息《むすこ》と、丶丶の親類とで慰むのだ。土民の一少婦、美なりといえどもあえて物の数とするには足らぬ。
「ね、」
(笑って答えず。)
多磨太は頷《うなず》いて身を退《の》いて、両雄いい合わせたように
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