と、まるで嬲《なぶ》るようなもんじゃあないか。女の癖に、第一失敬ださ。」
と、声を鋭く判然《はっきり》と言い放つ。言葉の端には自《おのず》から、かかる田舎にこうして、女の手に養われていらるべき身分ではないことが、響いて聞える。
「そんな心懸《こころがけ》じゃあ盲目《めくら》の夫の前で、情郎《いろおとこ》と巫山戯《ふざけ》かねはしないだろう。厭《いや》になったらさっぱりと突出すが可いじゃあないか、あわれな情《なさけ》ないものを捕《つかま》えて、苛《いじ》めるなあ残酷だ。また僕も苛められるようなものになったんだ、全くのこッた、僕はこんな所にお前様《まえさん》ほどの女が居ようとは思わなんだ。気の毒なほど深切にされる上に、打明けていえば迷わされて、疾《はや》く身を立てよう、行末を考えようと思いながら、右を見ても左を見ても、薬屋の金持か、せいぜいが知事か書記官の居る所で、しかも荒物屋の婆さんや近所の日傭取《ひやとい》にばかり口を利いて暮すもんだからいつの間にか奮発気がなくなって、引込思案になる所へ、目の煩《わずらい》を持込んで、我ながら意気地はない。口へ出すのも見《みッ》ともないや。お前さんに優しくされて朝晩にゃ顔を見て、一所に居るのが嬉しくッて、恥も義理も忘れたそうだ。そっちじゃあ親はなし、兄《あに》さんは兵に取られているしよ、こういっちゃあ可笑《おか》しいけれども、ただ僕を頼《たより》にしている。僕はまた実際|杖《つえ》とも柱とも頼まれてやる気だもんだから、今目が見えなくなったといっちゃあ、どんなに力を落すだろう。お前さんばかりじゃない、人のことより僕だって大変だ。死んでも取返しのつかないほど口惜しいから、心にだけも盲目《めくら》になったと思うまい、目が見えないたあいうまいと、手探《てさぐり》の真似もしないで、苦しい、切ない思《おもい》をするのに、何が面白くッてそんな真似をするんだな。されるのはこっちが悪い、意気地なしのしみったれじゃアあるけれども。」
お雪の泣声が耳に入《い》ると、若山は、口に蓋《ふた》をされたようになって黙った。
二十二
「お雪さん。」
ややあって男は改めて言って、この時はもう、声も常の優しい落着いた調子に復し、
「お雪さん、泣いてるんですか。悪かった、悪かった。真《まこと》を言えばお前さんに心配を懸けるのが気の毒で、無暗《むやみ》と隠していたのを、つい見透かされたもんだから、罪なことをすると思って、一刻に訳も分らないで、悪いことをいった。知ってる、僕は自分|極《ぎ》めかも知らないが、お前さんの心は知ってる意《つもり》だ。情無い、もう不具根性《かたわこんじょう》になったのか、僻《ひがみ》も出て、我儘《わがまま》か知らぬが、くさくさするので飛んだことをした、悪く思わないでおくれ。」
その平生《ふだん》の行《おこない》は、蓋《けだ》し無言にして男の心を解くべきものがあったのである。お雪は声を呑んで袂に食着いていたのであるが、優しくされて気も弛《ゆる》んで、わっと嗚咽《おえつ》して崩折《くずお》れたのを、慰められ、賺《すか》されてか、節も砕けるほど身に染みて、夢中に躙《にじ》り寄る男の傍《そば》。思わず縋《すが》る手を取られて、団扇は庭に落ちたまま、お雪は、潤んだ髪の濡れた、恍惚《うっとり》した顔を上げた。
「貴方《あなた》、」
「可いよ。」
「あの、こう申しますと、生意気だとお思いなさいましょうが、」
「何、」
「お気に障りましたことは堪忍して下さいまし、お隠しなさいますお心を察しますから、つい口へ出してお尋ね申すことも出来ませんし、それに、あの、こないだ総曲輪でお転びなすった時、どうも御様子が解りません、お湯にお入りなさいましたとは受取り難《にく》うございますもの、往来ですから黙って帰りました。が、それから気を着けて、お知合のお医者様へいらっしゃるというのは嘘で、石滝のこちらのお不動様の巌窟《いわや》の清水へ、お頭《つむり》を冷《ひや》しにおいでなさいますのも、存じております。不自由な中でございますから、お怨み申しました処で、唯今《ただいま》はお薬を思うように差上げますことも出来ませんが、あの……」
と言懸けて身を正しく、お雪はあたかも誓うがごとくに、
「きっとあの私が生命《いのち》に掛けましても、お目の治るようにして上げますよ。」と仇気《あどけ》なく、しかも頼母《たのも》しくいったが、神の宣託でもあるように、若山の耳には響いたのである。
「気張っておくれ、手を合わして拝むといっても構わんな。実に、何だ、僕は望《のぞみ》がある、惜《おし》い体だ。」といって深く溜息を吐《つ》いたのが、ひしひしと胸に応《こた》えた。お雪は疑わず、勇ましげに、
「ええ、もう治りますとも。そして目が開いて立派な
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