の白魚の姉御にも逢いました。」
「何、お兼に逢った、加賀といえばつい近所へ来ているのか。」
「さようでござります、この頃|盛《さかん》に工事を起しました、倶利伽羅鉄道の工夫の中へ交《まじ》り込んで、目星いのをまた二三人も引抜いて同志につけようッて働いておりますんで。一体富山でしばらく働いたそうでござりますに、貴方をお見着け申さなんだのは、姉御が一代の大脱落《おおぬかり》でござりましょう。その代り素ばらしいのを一名、こりゃ、華族で盗賊《どろぼう》だと申しますから、味方には誂向《あつらえむ》き、いざとなりゃ、船の一|艘《そう》ぐらい土蔵を開けて出来るんでござります。金主がつけば竜に翼だ、小主公《わかだんな》、そろそろ時節到来でござりましょうよ。」と慶造が勇むに引代え、若山は打悄《うちしお》れて、ありしその人とは思われず。渠《かれ》は非職海軍大佐某氏の息、理学士の学位あって、しかも父とともに社会の暗雲に蔽《おお》われた、一座の兇星《きょうせい》であるものを!

       五十一

 慶造は言効《いいがい》なしとや、握拳《にぎりこぶし》を膝に置き、面《おもて》を犯さんず、意気組見えたり。
「小主公《わかだんな》、貴方《あなた》はなぜそう弱くおなんなすったね、病《やめえ》なんざ気で勝つもんです。大方何でしょう、そんな引込思案をなさいますのは、目のためじゃあござりますまい。かえってその御病気のために、生命《いのち》も用《い》らないという女のあるせいでしょう。可《よ》うがす、何そりゃ好いた女《やつ》のためにゃあ世の中を打棄《うっちゃ》るのも、時と場合にゃ男の意地でさ、品に寄っちゃあ城を一百一束《いっそくひとからげ》にして掌《てのひら》に握るのと違わねえんでございましょうが、何ですぜ、野郎の方で、はあと溜息《ためいき》をついて女児《あまッこ》の膝に縋《すが》るようじゃあ、大概《たいげえ》の奴あそこで小首を傾《かし》げまさ。汝《てめえ》のためならばな、兜《かぶと》も錣《しころ》も何《なッ》ちも用《い》らない、そらよ持って行きねえで、ぽんと身体《からだ》を投出してくれてやる場合もあります代りにゃ、女《あま》の達引《たてひ》く時なんざ、べらんめえ、これんばかしの端《はした》をどうする、手の内ア受けねえよ、かなんかで横ッ面《つら》へ叩きつけるくらいでなくッちゃあ、不可《いけ》ませんや。=苦労しもする、させもする=ていのはそりゃあ心意気でさ。」
 慶造は威勢よくぽんと一ツ胸を叩いた。
「ここにあるこッてす。顔へ済まねえをあらわして、さも嬉しそうに難有《ありがて》え、苦労させるなんて弱い音《ね》を出して御覧《ごろう》じろ、奴《やっこ》さんたちまちなめッちまいますぜ。殊に貴方だ、誰だと思ってるんだ、お言《ことば》の一ツも懸けられりゃ勿体《もってえ》ねえと心得るが可い位の扱いで、結構でがす。もっとも、まあこうやって女の手一つで立過《たてすご》して、そんな恐《おっか》ねえ処へ貴方のために参ったんだ、憎くはありません、心中者だ。ですが、そりゃ私《わっし》どもはじめ世間で感心する事で、当の対手《あいて》は何の女《むすめ》ッ子の生命《いのち》なんざ、幾つ貰ったって髢屋《かもじや》にも売れやしねえ、そんな手間で気の利いた香《こう》の物でも拵《こしら》えろと、こういった工合《ぐあい》でなくッちゃ色男は勤まりませんよ。何でも不便《ふびん》だ、可愛いと思うほど、手荒く取扱って、癇癪《かんしゃく》を起してね、横頬《よこッつら》を撲《は》りのめしてやりさえすりゃ惚れた奴あ拝みまさ。貴方も江戸児《えどッこ》じゃあがあせんか。いえさ、若山さんの小主公《わかだんな》でしょう。女《あま》の心中立《しんじゅうだて》を物珍らしそうに、世の中にゃあ出ねえの、おいらこれッきりだのと、だらしのねえ、もう、情婦《いろ》を拵えるのと、坊主になるのとは同一《おんなじ》ものじゃあございませんぜ。しかしまあ盲目《めくら》におなんなすったから、按摩《あんま》にゃあかけがえのねえ女だと、拝んでるんでしょう。でれでれとするのはお金子《かね》のある分だ、貴方のなんざ、女《あま》に縋《すが》るんだから堪《たま》りませんや。え、もし、そんなこッちゃあ女《あま》にだって愛想をつかされますぜ。貴方ほどの方がどういうもんです。いや、それとも按摩さんにゃあ相当か。」と、声を激ましていいながら、慶造は、目の見えぬ、窶《やつ》れた若山の面を見守って、目には涙を湛《たた》えていた。
「慶造!」と一喝した、渠《かれ》は蒼《あお》くなって、屹《きっ》と唇を結んだ。
「ええ、」
「用意が出来たらいつでも来い、同志の者の迎《むかい》なら、冥途《めいど》からだって辞さないんだ。失敬なことをいう、盲人《めくら》がどうした、ものを見るのが私
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