、とこういうことです。実はと訳をいって、お金子《かね》は預けておこうとすると、それは本人へ直《じか》にといって承知しません。無理もないと引返して、夜も寝ないで今朝、起きがけに行くともう居ないんです。また婆さんが出て、昨夜《ゆうべ》は帰りました、その事をいって聞かせると、なおのことそのお情《なさけ》に預《あずか》っては、きっと取って来て差上げずにはと、留めるのも肯《き》かないで行ったといいます。
ええ、何の知事様から下さるものを、家一つ戴いて何程《どれほど》の事があろう、痩我慢《やせがまん》な行過ぎだと、小腹が立って帰りましたが、それといって棄てておかれぬ、直ぐにといってお嬢様が、ちょうどまたお加減が悪い処、かれこれして遅くなりましたけれども、お体のお厭《いと》いもなく遠方をお出懸けになったのに、まあ飛んだことをしちまったんでございますねえ。」
と道は落着かず胡乱々々《うろうろ》する。
一同顔を見合せた。
義作一名にやりにやり
「可《よ》うがす、何、大概大丈夫でしょう、心配はありますまいぜ。諺《ことわざ》にも何でさ、案ずるより産むが易いって謂《い》いまさ。」
「何だね、お前さん。」とそこどころではない、道は窘《たしな》めるがごとくにいった。
義作あえてその(にやり)なるものを止《や》めず。
「いえ、女ってえものは、またこれがその柔よく剛を制すといった形でね。喧嘩にも傍杖《そばづえ》をくいません、それが証拠にゃあ御覧《ごろう》じろ、人ごみの中でもそんなに足を蹈《ふみ》つけられはしねえもんだ。」
「ちょいとお黙り。高慢なことをお言いでない、お嬢様がいらっしゃるよ。」
「ですからさ、そっちにお嬢様がいらっしゃりゃ、こっちにゃあまた滝公、へん、滝の野郎てえ豪傑がついてまさ。」
「あれだもの。」
「どうでえ阿魔、一言もあるめえ恐入ったか。」
「義作さん可《いい》加減におしな。お嬢様は御心配を遊ばしていらっしゃるんですよ。」
「だから、その御心配には及びますめえッてこった。難かしい事《こた》あない、娘《あま》さい無事なら可いんでしょう。そこは心得てまさ、義作が心得たといっちゃあ、馬に引摺《ひきず》られたからとあって御信仰が薄いでしょうが、滝大明神が心得てついてます。今も島野さんに承わりゃ、あとからついて入んなすったそうで、何、またあの豪傑が行きさえすりゃ、」といいかけて、額を押え、
「や、天狗が礫《つぶて》を打ちゃあがる。」
雨三粒降って、雲間に響く滝の音が乱れた。風一陣!
四十八
「女中さん、降って来そうでございます、姫様《ひいさま》におっしゃって、まあ、お休みなさいましな」と米は程合《ほどあい》を見計らう。
「ああ、そういたしましょうねえ、お嬢様。」
黙って敏活の気の溢《あふ》れた目に、大空を見ておわした姫様は、これに頷《うなず》いて御入《おんいり》があろうとする。道はもとより、馬丁《べっとう》義作続いて島野まで、長いものに巻かれた形で、一群《ひとむれ》になって。米は鍵屋あって以来の上客を得た上に、当の敵《あいて》の蔵屋の分二名まで取込んだ得意想うべく、わざと後を圧《おさ》えて、周章《あわ》てて胡乱々々《うろうろ》する蔵屋の女《むすめ》に、上下《うえした》四人をこれ見よがし。
「お懸けなさいまし、」と高らかに謂った。
蔵屋の倉は堪《たま》りかねて、睨《ね》めながら米を摺抜《すりぬ》けて、島野に走り寄った。
「旦那様、若衆様《わかいしさん》とお二方は、どうぞ私《わたくし》どもへお帰りを願いとう存じます。」
「そうだ、忘れ物もあるし後で寄るよ。」
「はい、お忘物はこちらへ持って参りましても宜《よろ》しゅうございます。申兼ねますがどうぞいらっしゃって下さいまし、拝むんでございます、あの、後生になるのでございます。」
「可いじゃあないか、何も後《のち》にだってよ。」
義作が仔細《しさい》を心得て、
「競争をしてるんでさ、評判なんで。おい、姉さん、御主人様がこちらへお褥《しとね》が据《すわ》るから、あきらめねえ、仕方がねえやな。いえさ、気の毒だ、私《わっし》あ察するがね、まあ堪忍しなさい。」
「それでもどうぞ姫様にお願い遊ばして。」
「何をいうんですよ、馬鹿におしなさいねえ。」
と米は傍《かたわら》から押隔てると、敵手《あいて》はこれなり、倉は先《せん》を取られた上に、今のお懸けなさいましで赫《かッ》となっている処。
「止してくれ、人、身体《からだ》に手なんぞ懸けるのは、汚《けが》れますよ。」
「何を癩《かったい》が。」
「磔《はりつけ》め。」と角目立《つのめだ》ってあられもない、手先の突合《つつきあ》いが腕の掴合《つかみあ》いとなって、頬の引掻競《ひっかきくら》。やい、それと声を懸けるばかりで、車夫も、馬丁
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