と覗《のぞ》いて、其処《そこ》に、手絡《てがら》の影もない。
 織次はわっと泣出した。
 父は立ちながら背《せな》を擦《さす》って、わなわな震えた。
 雨の音が颯《さっ》と高い。
「おお、冷《つめて》え、本降《ほんぶり》、本降。」
 と高調子《たかぢょうし》で門を入ったのが、此処《ここ》に差向《さしむか》ったこの、平吉の平《へい》さんであった。
 傘《からかさ》をがさりと掛けて、提灯《ちょうちん》をふっと消す、と蝋燭《ろうそく》の匂《におい》が立って、家中《うちじゅう》仏壇の薫《かおり》がした。
「呀《や》! 世話場《せわば》だね、どうなすった、父《とっ》さん。お祖母《としより》は、何処《どこ》へ。」
 で、父が一伍一什《いちぶしじゅう》を話すと――
「立替《たてか》えましょう、可惜《あったら》ものを。七貫や八貫で手離すには当りゃせん。本屋じゃ幾干《いくら》に買うか知れないけれど、差当《さしあた》り、その物理書というのを求めなさる、ね、それだけ此処《ここ》にあれば可《い》い訳《わけ》だ、と先ず言った訳《わけ》だ。先方《さき》の買直《かいね》がぎりぎりの処《ところ》なら買戻《かいもど》す
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