《とお》った横顔が仄見《ほのみ》えて、白い拭布《ふきん》がひらりと動いた。
「織坊《おりぼう》。」
 と父が呼んだ。
「あい。」
 ばたばたと駈出して、その時まで同じ処《ところ》に、画《え》に描《か》いたように静《じっ》として動かなかった草色《くさいろ》の半纏《はんてん》に搦附《からみつ》く。
「ああ、阿母《おっか》のような返事をする。肖然《そっくり》だ、今の声が。」
 と膝へ抱く。胸に附着《くッつ》き、
「台所に母様《おっかさん》が。」
「ええ!」と父親が膝を立てた。
「祖母《おばあ》さんの手伝いして。」
 親父は、そのまま緊乎《しっか》と抱いて、
「織坊、本を買って、何を習う。」
「ああ、物理書を皆《みんな》読むとね、母様《おっかさん》のいる処《ところ》が分るって、先生がそう言ったよ。だから、早く欲しかったの、台所にいるんだもの、もう買わなくとも可《い》い。……おいでよ、父上《おとっさん》。」
 と手を引張《ひっぱ》ると、猶予《ためら》いながら、とぼとぼと畳に空足《からあし》を踏んで、板の間《ま》へ出た。
 その跫音《あしおと》より、鼠の駈ける音が激しく、棕櫚《しゅろ》の骨がばさり
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