ど》して、蔵《しま》っといてくれた。その絵の事だよ。」
時雨《しぐれ》の雲の暗い晩、寂しい水菜《みずな》で夕餉《ゆうげ》が済む、と箸《はし》も下に置かぬ前《さき》から、織次はどうしても持たねばならない、と言って強請《ねだ》った、新撰物理書《しんせんぶつりしょ》という四冊ものの黒表紙。これがなければ学校へ通《かよ》われぬと言うのではない。科目は教師が黒板《ボオルド》に書いて教授するのを、筆記帳へ書取《かきと》って、事は足りたのであるが、皆《みんな》が持ってるから欲しくてならぬ。定価がその時|金《きん》八十銭と、覚えている。
七
親父はその晩、一合の酒も飲まないで、燈火《ともしび》の赤黒い、火屋《ほや》の亀裂《ひび》に紙を貼った、笠の煤《すす》けた洋燈《ランプ》の下《もと》に、膳を引いた跡を、直ぐ長火鉢の向うの細工場《さいくば》に立ちもせず、袖《そで》に継《つぎ》のあたった、黒のごろの半襟《はんえり》の破れた、千草色《ちぐさいろ》の半纏《はんてん》の片手を懐《ふところ》に、膝を立てて、それへ頬杖《ほおづえ》ついて、面長《おもなが》な思案顔を重そうに支《ささ》えて黙然《
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