か、手綺麗《てぎれい》に装《よそ》わないと食えぬ奴さね。……もう不断《ふだん》、本場で旨《うま》いものを食《あが》りつけてるから、田舎料理なんぞお口には合わん、何にも入《い》らない、ああ、入《い》らないとも。」
 と独《ひと》りで極《き》めて、もじつく女房を台所へ追立《おった》てながら、
「織さん、鰯《いわし》のぬただ、こりゃ御存じの通り、他国にはない味です。これえ、早くしなよ。」
 ああ、しばらく。座にその鰯《いわし》の臭気のない内《うち》、言わねばならぬ事がある……
「あの、平さん。」
 と織次は若々しいもの言いした。
「此家《こちら》に何だね、僕ン許《とこ》のを買ってもらった、錦絵《にしきえ》があったっけね。」
「へい、錦絵。」と、さも年久《としひさ》しい昔を見るように、瞳《ひとみ》を凝《じっ》と上へあげる。
「内《うち》で困って、……今でも貧乏は同一《おんなじ》だが。」
 と織次は屹《きっ》と腕を拱《く》んだ。
「私が学校で要《い》る教科書が買えなかったので、親仁《おやじ》が思切《おもいき》って、阿母《おふくろ》の記念《かたみ》の錦絵を、古本屋に売ったのを、平さんが買戻《かいも
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