》で。
 まずこれから峠《とうげ》に掛《かか》ろうという日の、朝早く、もっとも先《せん》の泊《とまり》はものの三時ぐらいには発《た》って来たので、涼しい内に六里ばかり、その茶屋までのしたのじゃが朝晴でじりじり暑いわ。
 慾張《よくばり》抜いて大急ぎで歩いたから咽《のど》が渇《かわ》いてしようがあるまい、早速《さっそく》茶を飲もうと思うたが、まだ湯が沸《わ》いておらぬという。
 どうしてその時分じゃからというて、めったに人通《ひとどおり》のない山道、朝顔の咲《さ》いてる内に煙が立つ道理もなし。
 床几《しょうぎ》の前には冷たそうな小流《こながれ》があったから手桶《ておけ》の水を汲《く》もうとしてちょいと気がついた。
 それというのが、時節柄《じせつがら》暑さのため、恐《おそろ》しい悪い病が流行《はや》って、先に通った辻などという村は、から一面に石灰《いしばい》だらけじゃあるまいか。 
(もし、姉《ねえ》さん。)といって茶店の女に、
(この水はこりゃ井戸《いど》のでござりますか。)と、きまりも悪し、もじもじ聞くとの。
(いんね、川のでございます。)という、はて面妖《めんよう》なと思った。

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