を廻《まわ》る鰭爪《ひづめ》の音が縁《えん》へ響《ひび》いて親仁《おやじ》は一頭の馬を門前へ引き出した。
 轡頭《くつわづら》を取って立ちはだかり、
(嬢様そんならこのままで私《わし》参りやする、はい、ご坊様《ぼうさま》にたくさんご馳走《ちそう》して上げなされ。)
 婦人《おんな》は炉縁《ろぶち》に行燈《あんどう》を引附《ひきつ》け、俯向《うつむ》いて鍋《なべ》の下を燻《いぶ》していたが、振仰《ふりあお》ぎ、鉄の火箸《ひばし》を持った手を膝《ひざ》に置いて、
(ご苦労でござんす。)
(いんえご懇《ねんごろ》には及びましねえ。しっ!)と荒縄《あらなわ》の綱《つな》を引く。青で蘆毛《あしげ》、裸馬《はだかうま》で逞《たくま》しいが、鬣《たてがみ》の薄い牡《おす》じゃわい。
 その馬がさ、私も別に馬は珍しゅうもないが、白痴殿《ばかどの》の背後《うしろ》に畏《かしこま》って手持不沙汰《てもちぶさた》じゃから今引いて行こうとする時縁側へひらりと出て、
(その馬はどこへ。)
(おお、諏訪《すわ》の湖の辺《あたり》まで馬市へ出しやすのじゃ、これから明朝《あした》お坊様が歩行《ある》かっしゃる山路を越
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