わ。
これで蛭に悩まされて痛いのか、痒《かゆ》いのか、それとも擽《くすぐ》ったいのか得《え》もいわれぬ苦しみさえなかったら、嬉《うれ》しさに独《ひと》り飛騨山越《ひだやまごえ》の間道《かんどう》で、お経《きょう》に節《ふし》をつけて外道踊《げどうおどり》をやったであろう、ちょっと清心丹《せいしんたん》でも噛砕《かみくだ》いて疵口《きずぐち》へつけたらどうだと、だいぶ世の中の事に気がついて来たわ。抓《つね》っても確《たしか》に活返《いきかえ》ったのじゃが、それにしても富山の薬売はどうしたろう、あの様子《ようす》ではとうに血になって泥沼に。皮ばかりの死骸は森の中の暗い処、おまけに意地の汚《きたな》い下司《げす》な動物が骨までしゃぶろうと何百という数でのしかかっていた日には、酢《す》をぶちまけても分る気遣《きづかい》はあるまい。
こう思っている間、件《くだん》のだらだら坂は大分長かった。
それを下《くだ》り切ると流が聞えて、とんだ処に長さ一間ばかりの土橋がかかっている。
はやその谷川の音を聞くと我身で持余《もてあま》す蛭の吸殻《すいがら》を真逆《まっさかさま》に投込んで、水に浸《ひた
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