に檜を後《うしろ》に潜《くぐ》り抜けると、私《わし》が体の上あたりへ出て下を向き、
(おいおい、松本《まつもと》へ出る路はこっちだよ、)といって無造作《むぞうさ》にまた五六歩。
 岩の頭へ半身を乗出して、
(茫然《ぼんやり》してると、木精《こだま》が攫《さら》うぜ、昼間だって容赦《ようしゃ》はねえよ。)と嘲《あざけ》るがごとく言い棄《す》てたが、やがて岩の陰《かげ》に入って高い処の草に隠《かく》れた。
 しばらくすると見上げるほどな辺《あたり》へ蝙蝠傘の先が出たが、木の枝《えだ》とすれすれになって茂《しげみ》の中に見えなくなった。
(どッこいしょ、)と暢気《のんき》なかけ声で、その流の石の上を飛々《とびとび》に伝って来たのは、茣蓙《ござ》の尻当《しりあて》をした、何にもつけない天秤棒《てんびんぼう》を片手で担いだ百姓《ひゃくしょう》じゃ。」

     五

「さっきの茶店《ちゃみせ》からここへ来るまで、売薬の外は誰《だれ》にも逢《あ》わなんだことは申上げるまでもない。
 今別れ際《ぎわ》に声を懸けられたので、先方《むこう》は道中の商売人と見ただけに、まさかと思っても気迷《きまよい》が
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