》に濡《ぬ》れて黒《くろ》い、滑《なめら》かな、大《おほき》な石《いし》へ蒼味《あをみ》を帯《お》びて透通《すきとほ》つて映《うつ》るやうに見《み》えた。
 するとね、夜目《よめ》で判然《はつきり》とは目《め》に入《い》らなんだが地体《ぢたい》何《なん》でも洞穴《ほらあな》があると見《み》える。ひら/\と、此方《こちら》からもひら/\と、ものゝ鳥《とり》ほどはあらうといふ大蝙蝠《おほかはほり》が目《め》を遮《さへぎ》つた。
(あれ、不可《いけな》いよ、お客様《きやくさま》があるぢやないかね。)
 不意《ふい》を打《う》たれたやうに叫《さけ》んで身悶《みもだえ》をしたのは婦人《をんな》。
(何《ど》うかなさいましたか、)最《も》うちやんと法衣《ころも》を着《き》たから気丈夫《きぢやうぶ》に尋《たづ》ねる。
(否《いゝえ》、)
といつたばかりで極《きまり》が悪《わる》さうに、くるりと後向《うしろむき》になつた。
 其時《そのとき》小犬《こいぬ》ほどな鼠色《ねづみいろ》の小坊主《こばうず》が、ちよこ/\とやつて来《き》て、※[#「口+阿」、第4水準2−4−5]呀《あなや》と思《おも》ふと、崖《がけ》から横《よこ》に宙《ちゆう》をひよいと、背後《うしろ》から婦人《をんな》の背中《せなか》へぴつたり。
 裸体《はだか》の立姿《たちすがた》は腰《こし》から消《き》えたやうになつて、抱《だき》ついたものがある。
(畜生《ちくしやう》お客様《きやくさま》が見《み》えないかい。)
と声《こゑ》に怒《いかり》を帯《お》びたが、
(お前達《まへだち》は生意気《なまいき》だよ、)と激《はげ》しくいひさま、腋《わき》の下《した》から覗《のぞ》かうとした件《くだん》の動物《どうぶつ》の天窓《あたま》を振返《ふりかへ》りさまにくらはしたで。
 キツヽヽといふて奇声《きせい》を放《はな》つた、件《くだん》の小坊主《こばうず》は其《その》まゝ後飛《うしろと》びに又《また》宙《ちゆう》を飛《と》んで、今《いま》まで法衣《ころも》をかけて置《お》いた枝《えだ》の尖《さき》へ長《なが》い手《て》で釣《つる》し下《さが》つたと思《おも》ふと、くるりと釣瓶覆《つるべがへし》に上《うへ》へ乗《の》つて、其《それ》なりさら/\と木登《きのぼり》をしたのは、何《なん》と猿《さる》ぢやあるまいか。
 枝《えだ》から枝《えだ》を伝《つた》ふと見《み》えて、見上《みあ》げるやうに高《たか》い木《き》の、軈《やが》て梢《こずえ》まで、かさ/\がさり。
 まばらに葉《は》の中《なか》を透《す》かして月《つき》は山《やま》の端《は》を放《はな》れた、其《そ》の梢《こずえ》のあたり。
 婦人《をんな》はものに拗《す》ねたやう、今《いま》の悪戯《いたづら》、いや、毎々《まい/\》、蟇《ひき》と蝙蝠《かはほり》とお猿《さる》で三|度《ど》ぢや。
 其《そ》の悪戯《いたづら》に多《いた》く機嫌《きげん》を損《そこ》ねた形《かたち》、あまり子供《こども》がはしやぎ過《す》ぎると、若《わか》い母様《おふくろ》には得《え》てある図《づ》ぢや、
本当《ほんたう》に怒《おこ》り出《だ》す。
 といつた風情《ふぜい》で面倒臭《めんだうくさ》さうに衣服《きもの》を着《き》て居《ゐ》たから、私《わし》は何《なんに》も問《と》はずに少《ちい》さくなつて黙《だま》つて控《ひか》へた。」

         第十七

「優《やさ》しいなかに強《つよ》みのある、気軽《きがる》に見《み》えても何処《どこ》にか落着《おちつき》のある、馴々《なれ/\》しくて犯《をか》し易《やす》からぬ品《ひん》の可《い》い、如何《いか》なることにもいざとなれば驚《おどろ》くに足《た》らぬといふ身《み》に応《こたへ》のあるといつたやうな風《ふう》の婦人《をんな》、恁《か》く嬌瞋《きやうしん》を発《はつ》しては屹度《きつと》可《い》いことはあるまい、今《いま》此《こ》の婦人《をんな》に邪慳《じやけん》にされては木《き》から落《お》ちた猿《さる》同然《どうぜん》ぢやと、おつかなびつくりで、おづ/\控《ひか》へて居《ゐ》たが、いや案《あん》ずるより産《うむ》が安《やす》い。
(貴僧《あなた》、嘸《さぞ》をかしかつたでござんせうね、)と自分《じぶん》でも思《おも》ひ出《だ》したやうに快《こゝろよ》く微笑《ほゝゑ》みながら、
(為《し》やうがないのでございますよ。)
 以前《いぜん》と変《かは》らず心安《こゝろやす》くなつた、帯《おび》も早《は》や締《し》めたので、
(其《それ》では家《うち》へ帰《かへ》りませう。)と米磨桶《こめとぎをけ》を小脇《こわき》にして、草履《ざうり》を引《ひつ》かけて衝《つ》と崖《がけ》へ上《のぼ》つた。
(お危《あぶの》うござんすから、)
(否《いえ》、もう大分《だいぶ》勝手《かつて》が分《わか》つて居《を》ります。)
 づツと心得《こゝろえ》た意《つもり》ぢやつたが、扨《さて》上《あが》る時《とき》見《み》ると思《おも》ひの外《ほか》上《うへ》までは大層《たいそう》高《たか》い。
 軈《やが》て又《また》例《れい》の木《き》の丸太《まるた》を渡《わた》るのぢやが、前刻《さつき》もいつた通《とほり》草《くさ》のなかに横倒《よこだふ》れになつて居《ゐ》る、木地《きぢ》が恁《か》う丁度《ちやうど》鱗《うろこ》のやうで譬《たとへ》にも能《よ》くいふが松《まつ》の木《き》は蝮《うわばみ》に似《に》て居《ゐ》るで。
 殊《こと》に崖《がけ》を、上《うへ》の方《はう》へ、可《いゝ》塩梅《あんばい》に畝《うね》つた様子《やうす》が、飛《とん》だものに持《も》つて来《こ》いなり、凡《およ》そ此《こ》の位《くらゐ》な胴中《どうなか》の長虫《ながむし》がと思《おも》ふと、頭《かしら》と尾《を》を草《くさ》に隠《かく》して月《つき》あかりに歴然《あり/\》とそれ。
 山路《やまみち》の時《とき》を思《おも》ひ出《だ》すと我《われ》ながら足《あし》が窘《すく》む。
 婦人《をんな》は親切《しんせつ》に後《うしろ》を気遣《きづか》ふては気《き》を着《つ》けてくれる。
(其《それ》をお渡《わた》りなさいます時《とき》、下《した》を見《み》てはなりません丁度《ちやうど》中途《ちゆうと》で余程《よつぽど》谷《たに》が深《ふか》いのでございますから、目《め》が廻《まふ》と悪《わる》うござんす。)
(はい。)
 愚図々々《ぐづ/\》しては居《ゐ》られぬから、我身《わがみ》を笑《わら》ひつけて、先《ま》づ乗《の》つた。引《ひつ》かゝるやう、刻《きざ》が入《いれ》てあるのぢやから、気《き》さい確《たしか》なら足駄《あしだ》でも歩行《ある》かれる。
 其《それ》がさ、一|件《けん》ぢやから耐《たま》らぬて、乗《の》ると恁《か》うぐら/\して柔《やはら》かにずる/\と這《は》ひさうぢやから、わつといふと引跨《ひんまた》いで腰《こし》をどさり。
(あゝ、意気地《いくぢ》はございませんねえ。足駄《あしだ》では無理《むり》でございませう、是《これ》とお穿《は》き換《か》へなさいまし、あれさ、ちやんといふことを肯《き》くんですよ。)
 私《わし》はその前刻《さつき》から何《なん》となく此《この》婦人《をんな》に畏敬《ゐけい》の念《ねん》が生《しやう》じて善《ぜん》か悪《あく》か、何《ど》の道《みち》命令《めいれい》されるやうに心得《こゝろえ》たから、いはるゝままに草履《ざうり》を穿《は》いた。
 するとお聞《き》きなさい、婦女《をんな》は足駄《あしだ》を穿《は》きながら手《て》を取《と》つてくれます。
 忽《たちま》ち身《み》が軽《かる》くなつたやうに覚《おぼ》えて、訳《わけ》なく後《うしろ》に従《したが》ふて、ひよいと那《あ》の孤家《ひとつや》の背戸《せど》の端《はた》へ出《で》た。
 出会頭《であひがしら》に声《こゑ》を懸《か》けたものがある。
(やあ、大分《だいぶ》手間《てま》が取《と》れると思《おも》つたに、御坊様《おばうさま》旧《もと》の体《からだ》で帰《かへ》らつしやつたの、)
(何《なに》をいふんだね、小父様《をぢさま》家《うち》の番《ばん》は何《ど》うおしだ。)
(もう可《い》い時分《じぶん》ぢや、又《また》私《わし》も余《あんま》り遅《おそ》うなつては道《みち》が困《こま》るで、そろ/\青《あを》を引出《ひきだ》して支度《したく》して置《お》かうと思《おも》ふてよ。)
(其《それ》はお待遠《まちどう》でござんした。)
(何《なに》さ行《い》つて見《み》さつしやい御亭主《ごていしゆ》は無事《ぶじ》ぢや、いやなかなか私《わし》が手《て》には口説落《くどきおと》されなんだ、はゝゝゝはゝ。)と意味《いみ》もないことを大笑《たいせう》して、親仁《おやぢ》は厩《うまや》の方《かた》へてく/\と行《い》つた。
 白痴《ばか》はおなじ処《ところ》に猶《なほ》形《かたち》を存《そん》して居《ゐ》る、海月《くらげ》も日《ひ》にあたらねば解《と》けぬと見《み》える。」

         第十八

「ヒイヽン! 叱《しつ》、どうどうどうと背戸《せど》を廻《まわ》る蹄《ひづめ》の音《おと》が椽《えん》へ響《ひゞ》いて親仁《おやぢ》は一|頭《とう》の馬《うま》を門前《もんぜん》へ引出《ひきだ》した。
 轡頭《くつはづら》を取《と》つて立《た》ちはだかり、
(嬢様《ぢやうさま》そんなら此儘《このまゝ》で私《わし》参《まゐ》りやする、はい、御坊様《おばうさま》に沢山《たくさん》御馳走《ごちさう》して上《あ》げなされ。)
 婦人《をんな》は炉縁《ろぶち》に行燈《あんどう》を引附《ひきつ》け、俯向《うつむ》いて鍋《なべ》の下《した》を焚《いぶ》して居《ゐ》たが振仰《ふりあふ》ぎ、鉄《てつ》の火箸《ひばし》を持《も》つた手《て》を膝《ひざ》に置《お》いて、
(御苦労《ごくらう》でござんす。)
(いんえ御懇《ごねむごろ》には及《およ》びましねえ。叱《しつ》!、)と荒縄《あらなは》の綱《つな》を引《ひ》く。青《あを》で蘆毛《あしげ》、裸馬《はだかうま》で逞《たくま》しいが、鬣《たてがみ》の薄《うす》い牡《おす》ぢやわい。
 其《その》馬《うま》がさ、私《わし》も別《べつ》に馬《うま》は珍《めづ》らしうもないが、白痴殿《ばかどの》の背後《うしろ》に畏《かしこま》つて手持不沙汰《てもちぶさた》ぢやから今《いま》引《ひ》いて行《ゆ》かうとする時《とき》椽側《えんがは》へひらりと出《で》て、
(其《その》馬《うま》は何処《どこ》へ。)
(おゝ、諏訪《すは》の湖《みづうみ》の辺《あたり》まで馬市《うまいち》へ出《だ》しやすのぢや、これから明朝《あした》御坊様《おばうさま》が歩行《ある》かつしやる山路《やまみち》を越《こ》えて行《ゆ》きやす。)
(もし其《それ》へ乗《の》つて今《いま》からお遁《に》げ遊《あそ》ばすお意《つもり》ではないかい。)
 婦人《をんな》は慌《あはた》だしく遮《さへぎ》つて声《こゑ》を懸《か》けた。
(いえ、勿体《もツたい》ない、修行《しゆぎやう》の身《み》が馬《うま》で足休《あしやす》めをしませうなぞとは存《ぞん》じませぬ。)
(何《なん》でも人間《にんげん》を乗《の》つけられさうな馬《うま》ぢやあござらぬ。御坊様《おばうさま》は命拾《いのちびろひ》をなされたのぢやで、大人《おとな》しうして嬢様《ぢやうさま》の袖《そで》の中《なか》で、今夜《こんや》は助《たす》けて貰《もら》はつしやい。然様《さやう》ならちよつくら行《い》つて参《まゐ》りますよ。)
(あい。)
(畜生《ちくしやう》、)といつたが馬《うま》は出《で》ないわ。びく/\と蠢《うごめ》いて見《み》える大《おほき》な鼻面《はなツつら》を此方《こちら》へ捻《ね》ぢ向《む》けて頻《しきり》に私等《わしら》が居《ゐ》る方《はう》を見《み》る様子《やうす》。
(どう/\どう、畜生《ちくしやう》これあだけた獣《けもの
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