、こえ、こえ。)といひながら、気《き》だるさうに手《て》を持上《もちあ》げて其《そ》の蓬々《ばう/\》と生《は》へた天窓《あたま》を撫《な》でた。
(坊《ばう》さま、坊《ばう》さま?)
 すると婦人《をんな》が、下《しも》ぶくれな顔《かほ》にえくぼを刻《きざ》んで、三ツばかりはき/\と続《つゞ》けて頷《うなづ》いた。
 少年《せうねん》はうむといつたが、ぐたりとして又《また》臍《へそ》をくり/\/\。
 私《わし》は余《あま》り気《き》の毒《どく》さに顔《かほ》も上《あ》げられないで密《そ》つと盗《ぬす》むやうにして見《み》ると、婦人《をんな》は何事《なにごと》も別《べつ》に気《き》に懸《か》けては居《を》らぬ様子《やうす》、其《その》まゝ後《あと》へ跟《つ》いて出《で》やうとする時《とき》、紫陽花《あぢさい》の花《はな》の蔭《かげ》からぬいと出《で》た一|名《めい》の親仁《おやぢ》がある。
 背戸《せど》から廻《まは》つて来《き》たらしい、草鞋《わらじ》を穿《は》いたなりで、胴乱《どうらん》の根付《ねつけ》を紐長《ひもなが》にぶらりと提《さ》げ、啣煙管《くはへぎせる》をしながら並《なら》んで立停《たちとま》つた。
(和尚様《おしやうさま》おいでなさい。)
 婦人《をんな》は其方《そなた》を振向《ふりむ》いて、
(おぢ様《さん》何《ど》うでござんした。)
(然《さ》ればさの、頓馬《とんま》で間《ま》の抜《ぬ》けたといふのは那《あ》のことかい。根《ね》ツから早《は》や狐《きつね》でなければ乗《の》せ得《え》さうにもない奴《やつ》ぢやが、其処《そこ》はおらが口《くち》ぢや、うまく仲人《なかうど》して、二|月《つき》や三|月《つき》はお嬢様《ぢやうさま》が御不自由《ごふんじよ》のねえやうに、翌日《あす》はものにして沢山《うん》と此処《こゝ》へ担《かつ》ぎ込《こ》んます。)
(お頼《たの》み申《まを》しますよ。)
(承知《しようち》、承知《しようち》、おゝ、嬢様《ぢやうさま》何処《どこ》さ行《ゆ》かつしやる。)
(崖《がけ》の水《みづ》まで一寸《ちよいと》。)
(若《わか》い坊様《ばうさま》連《つ》れて川《かは》へ落《お》つこちさつさるな。おら此処《こゝ》に眼張《がんば》つて待《ま》つ居《と》るに、)と横様《よこさま》に椽《えん》にのさり。
(貴僧《あなた》、あんなことを申《まを》しますよ。)と顔《かほ》を見《み》て微笑《ほゝゑ》んだ。
(一人《ひとり》で参《まゐ》りませう、)と傍《わき》へ退《の》くと親仁《おやぢ》は吃々《くつ/\》と笑《わら》つて、
(はゝゝゝ、さあ早《はや》くいつてござらつせえ。)
(をぢ様《さん》、今日《けふ》はお前《まへ》、珍《めづ》らしいお客《きやく》がお二人《ふたかた》ござんした、恁《か》ふ云《い》ふ時《とき》はあとから又《また》見《み》えやうも知《し》れません、次郎《じらう》さんばかりでは来《き》た者《もの》が弱《よわ》んなさらう、私《わたし》が帰《かへ》るまで其処《そこ》に休《やす》んで居《ゐ》てをくれでないか。)
(可《い》いともの。)といひかけて親仁《おやぢ》は少年《せうねん》の傍《そば》へにぢり寄《よ》つて、鉄挺《かなてこ》を見《み》たやうな拳《こぶし》で、脊中《せなか》をどんとくらはした、白痴《ばか》の腹《はら》はだぶりとして、べそをかくやうな口《くち》つきで、にやりと笑《わら》ふ。
 私《わし》は悚気《ぞツ》として面《おもて》を背《そむ》けたが婦人《をんな》は何気《なにげ》ない体《てい》であつた。
 親仁《おやぢ》は大口《おほぐち》を開《あ》いて、
(留主《るす》におらが此《こ》の亭主《ていしゆ》を盗《ぬす》むぞよ。)
(はい、ならば手柄《てがら》でござんす、さあ、貴僧《あなた》参《まゐ》りませうか。)
 背後《うしろ》から親仁《おやぢ》が見《み》るやうに思《おも》つたが、導《みちび》かるゝまゝに壁《かべ》について、彼《か》の紫陽花《あぢさい》のある方《はう》ではない。
 軈《やが》て脊戸《せど》と思《おも》ふ処《ところ》で左《ひだり》に馬小屋《うまごや》を見《み》た、こと/\といふ物音《ものおと》は羽目《はめ》を蹴《け》るのであらう、もう其辺《そのへん》から薄暗《うすぐら》くなつて来《く》る。
(貴僧《あなた》、こゝから下《を》りるのでございます、辷《すべ》りはいたしませぬが道《みち》が酷《ひど》うございますからお静《しづか》に、)といふ。」

         第十三

「其処《そこ》から下《お》りるのだと思《おも》はれる、松《まつ》の木《き》の細《ほそ》くツて度外《どはづ》れに背《せい》の高《たか》いひよろ/\した凡《およ》そ五六|間《けん》上《うへ》までは小枝《こえだ》一ツもないのがある。其中《そのなか》を潜《くゞ》つたが仰《あふ》ぐと梢《こずえ》に出《で》て白《しろ》い、月《つき》の形《かたち》は此処《ここ》でも別《べつ》にかはりは無《な》かつた、浮世《うきよ》は何処《どこ》にあるか十三夜《じふさんや》で。
 先《さき》へ立《た》つた婦人《をんな》の姿《すがた》が目《め》さきを放《はな》れたから、松《まつ》の幹《みき》に掴《つか》まつて覗《のぞ》くと、つい下《した》に居《ゐ》た。
 仰向《あふむ》いて、
(急《きふ》に低《ひく》くなりますから気《き》をつけて。こりや貴僧《あなた》には足駄《あしだ》では無理《むり》でございましたか不知《しら》、宜《よろ》しくば草履《ざうり》とお取交《とりか》へ申《まを》しませう。)
 立後《たちおく》れたのを歩行悩《あるきなや》んだと察《さつ》した様子《やうす》、何《なに》が扨《さて》転《ころ》げ落《お》ちても早《はや》く行《い》つて蛭《ひる》の垢《あか》を落《おと》したさ。
(何《なに》、いけませんければ跣足《はだし》になります分《ぶん》のこと、何卒《どうぞ》お構《かま》ひなく、嬢様《ぢやうさま》に御心配《ごしんぱい》をかけては済《す》みません。)
(あれ、嬢様《ぢやうさま》ですつて、)と稍《やゝ》調子《てうし》を高《たか》めて、艶麗《あでやか》に笑《わら》つた。
(唯《はい》、唯今《たゞいま》あの爺様《ぢいさん》が、然《さ》やう申《まを》しましたやうに存《ぞん》じますが、夫人《おくさま》でございますか。)
(何《なん》にしても貴僧《あなた》には叔母《をば》さん位《ぐらゐ》な年紀《とし》ですよ。まあ、お早《はや》くいらつしやい、草履《ざうり》も可《よ》うござんすけれど、刺《とげ》がさゝりますと不可《いけ》ません、それにじく/\湿《ぬ》れて居《ゐ》てお気味《きみ》が悪《わる》うございませうから)と向《むか》ふ向《むき》でいひながら衣服《きもの》の片褄《かたつま》をぐいとあげた。真白《まつしろ》なのが暗《くら》まぎれ、歩行《ある》くと霜《しも》が消《き》えて行《ゆ》くやうな。
 ずん/\ずん/\と道《みち》を下《お》りる、傍《かたはら》の叢《くさむら》から、のさ/\と出《で》たのは蟇《ひき》で。
(あれ、気味《きみ》が悪《わる》いよ。)といふと婦人《をんな》は背後《うしろ》へ高々《たか/″\》と踵《かがと》を上《あ》げて向《むか》ふへ飛《と》んだ。
(お客様《きやくさま》が被在《ゐらつ》しやるではないかね、人《ひと》の足《あし》になんか搦《から》まつて贅沢《ぜいたく》ぢやあないか、お前達《まへだち》は虫《むし》を吸《す》つて居《ゐ》れば沢山《たくさん》だよ。
 貴僧《あなた》ずん/\入《い》らつしやいましな、何《ど》うもしはしません。恁云《かうい》ふ処《ところ》ですからあんなものまで人懐《ひとなつか》うございます、厭《いや》ぢやないかね、お前達《まへだち》と友達《ともだち》を見《み》たやうで可愧《はづかし》い、あれ可《い》けませんよ。)
 蟇《ひき》はのさ/\と又《また》草《くさ》を分《わ》けて入《はい》つた、婦人《をんな》はむかふへずいと。
(さあ此《こ》の上《うへ》へ乗《の》るんです、土《つち》が柔《やはら》かで壊《く》へますから地面《ぢめん》は歩行《ある》かれません。)
 いかにも大木《たいぼく》の僵《たふ》れたのが草《くさ》がくれに其《そ》の幹《みき》をあらはして居《ゐ》る、乗《の》ると足駄穿《あしだばき》で差支《さしつか》へがない、丸木《まるき》だけれども可恐《おそろ》しく太《ふと》いので、尤《もつと》もこれを渡《わた》り果《は》てると忽《たちま》ち流《ながれ》の音《おと》が耳《みゝ》に激《げき》した、それまでには余程《よほど》の間《あひだ》。
 仰《あふ》いで見《み》ると松《まつ》の樹《き》はもう影《かげ》も見《み》えない、十三|夜《や》の月《つき》はずつと低《ひく》うなつたが、今《いま》下《お》りた山《やま》の頂《いただき》に半《なか》ばかゝつて、手《て》が届《とゞ》きさうにあざやかだけれども、高《たか》さは凡《およ》そ計《はか》り知《し》られぬ。
(貴僧《あなた》、此方《こちら》へ。)
といつた、婦人《をんな》はもう一|息《いき》、目《め》の下《した》に立《た》つて待《ま》つて居《ゐ》た。
 其処《そこ》は早《は》や一|面《めん》の岩《いは》で、岩《いは》の上《うへ》へ谷川《たにがは》の水《みづ》がかゝつて此処《ここ》によどみを造《つく》つて居《ゐ》る、川巾《かははば》は一|間《けん》ばかり、水《みづ》に望《のぞ》めば音《おと》は然《さ》までにもないが、美《うつく》しさは玉《たま》を解《と》いて流《なが》したやう、却《かへ》つて遠《とほ》くの方《はう》で凄《すさま》じく岩《いは》に砕《くだ》ける響《ひゞき》がする。
 向《むか》ふ岸《ぎし》は又《また》一|坐《ざ》の山《やま》の裾《すそ》で、頂《いたゞき》の方《はう》は真暗《まつくら》だが、山《やま》の端《は》から其《その》山腹《さんぷく》を射《い》る月《つき》の光《ひかり》に照《て》らし出《だ》された辺《あたり》からは大石《おほいし》小石《こいし》、栄螺《さゞえ》のやうなの、六|尺角《しやくかく》に切出《きりだ》したの、剣《つるぎ》のやうなのやら鞠《まり》の形《かたち》をしたのやら、目《め》の届《とゞ》く限《かぎ》り不残《のこらず》岩《いは》で、次第《しだい》に大《おほき》く水《みづ》に浸《ひた》つたのは唯《ただ》小山《こやま》のやう。」

         第十四

「(可《いゝ》塩梅《あんばい》に今日《けふ》は水《みづ》がふへて居《を》りますから、中《なか》に入《はい》りませんでも此上《このうへ》で可《よ》うございます。)と甲《かう》を浸《ひた》して爪先《つまさき》を屈《かゞ》めながら、雪《ゆき》のやうな素足《すあし》で石《いし》の盤《ばん》の上《うへ》に立《た》つて居《ゐ》た。
 自分達《じぶんだち》が立《た》つた側《がは》は、却《かへ》つて此方《こなた》の山《やま》の裾《すそ》が水《みづ》に迫《せま》つて、丁度《ちやうど》切穴《きりあな》の形《かたち》になつて、其処《そこ》へ此《こ》の石《いし》を箝《は》めたやうな誂《あつらへ》。川上《かはかみ》も下流《かりう》も見《み》えぬが、向《むか》ふの彼《か》の岩山《いはやま》、九十九折《つゞらをれ》のやうな形《かたち》、流《ながれ》は五|尺《しやく》、三|尺《しやく》、一|間《けん》ばかりづゝ上流《じやうりう》の方《はう》が段々《だん/″\》遠《とほ》く、飛々《とび/″\》に岩《いは》をかゞつたやうに隠見《いんけん》して、いづれも月光《げつくわう》を浴《あ》びた、銀《ぎん》の鎧《よろひ》の姿《すがた》、目《ま》のあたり近《ちか》いのはゆるぎ糸《いと》を捌《さば》くが如《ごと》く真白《まツしろ》に飜《ひるがへ》つて。
(結構《けつこう》な流《ながれ》でございますな。)
(はい、此《こ》の水《みづ》は源《みなもと》が瀧《たき》でございます、此山《このやま》を旅《たび》するお方《かた》は皆《みな》大風《おほかぜ》のやうな音
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