ち》ぢやから見附《みつ》かると叱《しか》られる、之《これ》を股引《もゝひき》や袴《はかま》と一|所《しよ》に戸棚《とだな》の上《うへ》に載《の》せて置《お》いて、隙《ひま》さへあればちびり/\と飲《の》んでた男《をとこ》が、庭掃除《にはさうじ》をするといつて、件《くだん》の蜂《はち》の巣《す》を見《み》つけたつけ。
 椽側《えんがは》へ遣《や》つて来《き》て、お嬢様《ぢやうさま》面白《おもしろ》いことをしてお目《め》に懸《か》けませう、無躾《ぶしつけ》でござりますが、私《わたし》の此《こ》の手《て》を握《にぎ》つて下《くだ》さりますと、彼《あ》の蜂《はち》の中《なか》へ突込《つツこ》んで、蜂《はち》を掴《つか》んで見《み》せましやう。お手《て》が障《さは》つた所《ところ》だけは刺《さ》しましても痛《いた》みませぬ、竹箒《たけばうき》で引払《ひツぱた》いては八|方《ぱう》へ散《ちらば》つて体中《からだぢう》に集《たか》られては夫《それ》は凌《しの》げませぬ即死《そくし》でございますがと、微笑《ほゝゑ》んで控《ひか》へる手《て》で無理《むり》に握《にぎ》つて貰《もら》ひ、つか/\と行《ゆ》くと、凄《すさま》じい虫《むし》の唸《うなり》、軈《やが》て取《と》つて返《かへ》した左《ひだり》の手《て》に熊蜂《くまばち》が七ツ八ツ、羽《は》ばたきをするのがある、脚《あし》を揮《ふる》ふのがある、中《なか》には掴《つか》んだ指《ゆび》の股《また》へ這出《はひだ》して居《ゐ》るのがあツた。
 さあ、那《あ》の神様《かみさま》の手《て》が障《さは》れば鉄砲玉《てツぱうだま》でも通《とほ》るまいと、蜘蛛《くも》の巣《す》のやうに評判《ひやうばん》が八|方《ぱう》へ。
 其《そ》の頃《ころ》からいつとなく感得《かんとく》したものと見《み》えて、仔細《しさい》あつて、那《あ》の白痴《ばか》に身《み》を任《まか》せて山《やま》に籠《こも》つてからは神変不思議《しんぺんふしぎ》、年《とし》を経《ふ》るに従《したが》ふて神通自在《じんつうじざい》ぢや、はじめは体《からだ》を押《お》つけたのが、足《あし》ばかりとなり、手《て》さきとなり、果《はて》は間《あひだ》を隔《へだ》てゝ居《ゐ》ても、道《みち》を迷《まよ》ふた旅人《たびゞと》は嬢様《ぢやうさま》が思《おも》ふまゝはツといふ呼吸《いき》で変《へん》ずるわ。
 と親仁《おやぢ》が其時《そのとき》物語《ものがた》つて、御坊《ごばう》は、孤家《ひとつや》の周囲《ぐるり》で、猿《さる》を見《み》たらう、蟇《ひき》を見《み》たらう、蝙蝠《かうもり》を見《み》たであらう、兎《うさぎ》も蛇《へび》も皆《みんな》嬢様《ぢやうさま》に谷川《たにがは》の水《みづ》を浴《あ》びせられて、畜生《ちくしやう》にされたる輩《やから》!
 あはれ其時《そのとき》那《あ》の婦人《をんな》が、蟇《ひき》に絡《まつは》られたのも、猿《さる》に抱《だ》かれたのも、蝙蝠《かうもり》に吸《す》はれたのも、夜中《よなか》に※[#「魅」の「未」に代えて「知」、61−5]魅魍魎《ちみまうりやう》に魘《おそ》はれたのも、思出《おもひだ》して、私《わし》は犇々《ひし/\》と胸《むね》に当《あた》つた、
 なほ親仁《おやぢ》のいふやう。
 今《いま》の白痴《ばか》も、件《くだん》の評判《ひやうばん》の高《たか》かつた頃《ころ》、医者《いしや》の内《うち》へ来《き》た病人《びやうにん》、其頃《そのころ》は未《ま》だ子供《こども》、朴訥《ぼくとつ》な父親《てゝおや》が附添《つきそ》ひ、髪《かみ》の長《なが》い、兄貴《あにき》がおぶつて山《やま》から出《で》て来《き》た。脚《あし》に難渋《なんじう》な腫物《しゆもつ》があつた、其《そ》の療治《れうぢ》を頼《たの》んだので。
 固《もと》より一|室《ま》を借受《かりう》けて、逗留《たうりう》をして居《を》つたが、かほどの悩《なやみ》は大事《おほごと》ぢや、血《ち》も大分《だいぶん》に出《だ》さねばならぬ殊《こと》に子供《こども》手《て》を下《お》ろすには体《からだ》に精分《せいぶん》をつけてからと、先《ま》づ一|日《にち》に三ツづゝ鶏卵《たまご》を飲《の》まして、気休《きやす》めに膏薬《かうやく》を張《は》つて置《お》く。
 其《そ》の膏薬《かうやく》を剥《は》がすにも親《おや》や兄《あに》、又《また》傍《そば》のものが手《て》を懸《か》けると、堅《かた》くなつて硬《こは》ばつたのが、めり/\と肉《にく》にくツついて取《と》れる、ひい/\と泣《な》くのぢやが、娘《むすめ》が手《て》をかけてやれば黙《だま》つて耐《こら》へた。
 一|体《たい》は医者殿《いしやどの》、手《て》のつけやうがなくつて、身《み》の衰《おとろ
前へ 次へ
全37ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング