げなされ。)
婦人《をんな》は炉縁《ろぶち》に行燈《あんどう》を引附《ひきつ》け、俯向《うつむ》いて鍋《なべ》の下《した》を焚《いぶ》して居《ゐ》たが振仰《ふりあふ》ぎ、鉄《てつ》の火箸《ひばし》を持《も》つた手《て》を膝《ひざ》に置《お》いて、
(御苦労《ごくらう》でござんす。)
(いんえ御懇《ごねむごろ》には及《およ》びましねえ。叱《しつ》!、)と荒縄《あらなは》の綱《つな》を引《ひ》く。青《あを》で蘆毛《あしげ》、裸馬《はだかうま》で逞《たくま》しいが、鬣《たてがみ》の薄《うす》い牡《おす》ぢやわい。
其《その》馬《うま》がさ、私《わし》も別《べつ》に馬《うま》は珍《めづ》らしうもないが、白痴殿《ばかどの》の背後《うしろ》に畏《かしこま》つて手持不沙汰《てもちぶさた》ぢやから今《いま》引《ひ》いて行《ゆ》かうとする時《とき》椽側《えんがは》へひらりと出《で》て、
(其《その》馬《うま》は何処《どこ》へ。)
(おゝ、諏訪《すは》の湖《みづうみ》の辺《あたり》まで馬市《うまいち》へ出《だ》しやすのぢや、これから明朝《あした》御坊様《おばうさま》が歩行《ある》かつしやる山路《やまみち》を越《こ》えて行《ゆ》きやす。)
(もし其《それ》へ乗《の》つて今《いま》からお遁《に》げ遊《あそ》ばすお意《つもり》ではないかい。)
婦人《をんな》は慌《あはた》だしく遮《さへぎ》つて声《こゑ》を懸《か》けた。
(いえ、勿体《もツたい》ない、修行《しゆぎやう》の身《み》が馬《うま》で足休《あしやす》めをしませうなぞとは存《ぞん》じませぬ。)
(何《なん》でも人間《にんげん》を乗《の》つけられさうな馬《うま》ぢやあござらぬ。御坊様《おばうさま》は命拾《いのちびろひ》をなされたのぢやで、大人《おとな》しうして嬢様《ぢやうさま》の袖《そで》の中《なか》で、今夜《こんや》は助《たす》けて貰《もら》はつしやい。然様《さやう》ならちよつくら行《い》つて参《まゐ》りますよ。)
(あい。)
(畜生《ちくしやう》、)といつたが馬《うま》は出《で》ないわ。びく/\と蠢《うごめ》いて見《み》える大《おほき》な鼻面《はなツつら》を此方《こちら》へ捻《ね》ぢ向《む》けて頻《しきり》に私等《わしら》が居《ゐ》る方《はう》を見《み》る様子《やうす》。
(どう/\どう、畜生《ちくしやう》これあだけた獣《けもの
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