いたされませんが、那《あ》の、此《こ》の裏《うら》の崖《がけ》を下《お》りますと、綺麗《きれい》な流《ながれ》がございますから一|層《そう》其《それ》へ行《い》らつしやツてお流《なが》しが宜《よ》うございませう、)
 聞《き》いただけでも飛《とん》でも行《ゆ》きたい。
(えゝ、其《それ》は何《なに》より結構《けつこう》でございますな。)
(さあ、其《それ》では御案内《ごあんない》申《まを》しませう、どれ、丁度《ちやうど》私《わたし》も米《こめ》を磨《と》ぎに参《まゐ》ります。)と件《くだん》の桶《をけ》を小脇《こわき》に抱《かゝ》へて、椽側《えんがは》から、藁草履《わらぞうり》を穿《は》いて出《で》たが、屈《かゞ》んで板椽《いたえん》の下《した》を覗《のぞ》いて、引出《ひきだ》したのは一|足《そく》の古下駄《ふるげた》で、かちりと合《あ》はして埃《ほこり》を払《はた》いて揃《そろ》へて呉《く》れた。
(お穿《は》きなさいまし、草鞋《わらじ》は此処《こゝ》にお置《お》きなすつて、)
 私《わし》は手《て》をあげて一|礼《れい》して、
(恐入《おそれい》ります、これは何《ど》うも、)
(お泊《と》め申《まを》すとなりましたら、あの、他生《たしやう》の縁《えん》とやらでござんす、あなた御遠慮《ごゑんりよ》を遊《あそ》ばしますなよ。)先《ま》づ恐《おそ》ろしく調子《てうし》が可《い》いぢやて。」

         第十二

「(さあ、私《わたし》に跟《つ》いて此方《こちら》へ、)と件《くだん》の米磨桶《こめとぎをけ》を引抱《ひツかゝ》へて手拭《てぬぐひ》を細《ほそ》い帯《おび》に挟《はさ》んで立《た》つた。
 髪《かみ》は房《ふツさ》りとするのを束《たば》ねてな、櫛《くし》をはさんで笄《かんざし》で留《と》めて居《ゐ》る、其《そ》の姿《すがた》の佳《よ》さといふてはなかつた。
 私《わし》も手早《てばや》く草鞋《わらじ》を解《と》いたから、早速《さツそく》古下駄《ふるげた》を頂戴《ちやうだい》して、椽《えん》から立《た》つ時《とき》一寸《ちよいと》見《み》ると、それ例《れい》の白痴殿《ばかどの》ぢや。
 同《おな》じく私《わし》が方《かた》をぢろりと見《み》たつけよ、舌不足《したたらず》が饒舌《しやべ》るやうな、愚《ぐ》にもつかぬ声《こゑ》を出《だ》して、
(姉《ねえ》や
前へ 次へ
全74ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング