方《しかた》がないから又《また》言葉《ことば》をかけたが少《すこ》しも通《つう》ぜず、ばたりといふと僅《わづか》に首《くび》の位置《ゐち》をかへて今度《こんど》は左《ひだり》の肩《かた》を枕《まくら》にした、口《くち》の開《あ》いてること旧《もと》の如《ごと》し。
恁《かう》云《い》ふのは、悪《わる》くすると突然《いきなり》ふんづかまへて臍《へそ》を捻《ひね》りながら返事《へんじ》のかはりに嘗《な》めやうも知《し》れぬ。
私《わし》は一|足《あし》退《すさ》つたがいかに深山《しんざん》だといつても是《これ》を一人《ひとり》で置《お》くといふ法《はふ》はあるまい、と足《あし》を爪立《つまだ》てゝ少《すこ》し声高《こはだか》に、
(何方《どなた》ぞ、御免《ごめん》なさい、)といつた。
背戸《せど》と思《おも》ふあたりで再《ふたゝ》び馬《うま》の嘶《いなゝ》く声《こゑ》。
(何方《どなた》、)と納戸《なんど》の方《はう》でいつたのは女《をんな》ぢやから、南無三宝《なむさんばう》、此《こ》の白《しろ》い首《くび》には鱗《うろこ》が生《は》へて、体《からだ》は床《ゆか》を這《は》つて尾《を》をずる/″\と引《ひ》いて出《で》やうと、又《また》退《すさ》つた。
(おゝ、御坊様《おばうさま》、)と立顕《たちあら》はれたのは小造《こづくり》の美《うつく》しい、声《こゑ》も清《すゞ》しい、ものやさしい。
私《わし》は大息《おほいき》を吐《つ》いて、何《なん》にもいはず、
(はい。)と頭《つむり》を下《さ》げましたよ。
婦人《をんな》は膝《ひざ》をついて坐《すわ》つたが、前《まへ》へ伸上《のびあが》るやうにして黄昏《たそがれ》にしよんぼり立《た》つた私《わし》が姿《すがた》を透《す》かし見《み》て、(何《なに》か用《よう》でござんすかい。)
休《やす》めともいはずはじめから宿《やど》の常世《つねよ》は留主《るす》らしい、人《ひと》を泊《と》めないと極《き》めたものゝやうに見《み》える。
いひ後《おく》れては却《かへ》つて出《で》そびれて頼《たの》むにも頼《たの》まれぬ仕誼《しぎ》にもなることゝ、つか/\と前《まへ》へ出《で》た。丁寧《ていねい》に腰《こし》を屈《かゞ》めて、
(私《わし》は、山越《やまごえ》で信州《しんしう》へ参《まゐ》ります者《もの》ですが旅籠《はたご》
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