ら》んで倒《たふ》れさうになると、禍《わざわひ》は此辺《このへん》が絶頂《ぜつちやう》であつたと見《み》えて、隧道《トンネル》を抜《ぬ》けたやうに遥《はるか》に一|輪《りん》のかすれた月《つき》を拝《おが》んだのは蛭《ひる》の林《はやし》の出口《でくち》なので。
いや蒼空《あをそら》の下《した》へ出《で》た時《とき》には、何《なん》のことも忘《わす》れて、砕《くだ》けろ、微塵《みぢん》になれと横《よこ》なぐりに体《からだ》を山路《やまぢ》へ打倒《うちたふ》した。それでからもう砂利《じやり》でも針《はり》でもあれと地《つち》へこすりつけて、十《とう》余《あま》りも蛭《ひる》の死骸《しがい》を引《ひツ》くりかへした上《うへ》から、五六|間《けん》向《むか》ふへ飛《と》んで身顫《みぶるひ》をして突立《つツた》つた。
人《ひと》を馬鹿《ばか》にして居《ゐ》るではありませんか。あたりの山《やま》では処々《ところ/″\》茅蜩殿《ひぐらしどの》、血《ち》と泥《どろ》の大沼《おほぬま》にならうといふ森《もり》を控《ひか》へて鳴《な》いて居《ゐ》る、日《ひ》は斜《なゝめ》、谷底《たにそこ》はもう暗《くら》い。
先《ま》づこれならば狼《おほかみ》の餌食《えじき》になつても其《それ》は一|思《おもひ》に死《し》なれるからと、路《みち》は丁度《ちやうど》だら/″\下《おり》なり、小僧《こぞう》さん、調子《てうし》はづれに竹《たけ》の杖《つゑ》を肩《かた》にかついで、すたこら遁《に》げたわ。
これで蛭《ひる》に悩《なや》まされて痛《いた》いのか、痒《かゆ》いのか、それとも擽《くすぐ》つたいのか得《え》もいはれぬ苦《くる》しみさへなかつたら、嬉《うれ》しさに独《ひと》り飛騨山越《ひだやまごえ》の間道《かんだう》で、御経《おきやう》に節《ふし》をつけて外道踊《げだうをどり》をやつたであらう一寸《ちよツと》清心丹《せいしんたん》でも噛砕《かみくだ》いて疵口《きずぐち》へつけたら何《ど》うだと、大分《だいぶ》世《よ》の中《なか》の事《こと》に気《き》がついて来《き》たわ。捻《つね》つても確《たしか》に活返《いきかへ》つたのぢやが、夫《それ》にしても富山《とやま》の薬売《くすりうり》は何《ど》うしたらう、那《あ》の様子《やうす》では疾《とう》に血《ち》になつて泥沼《どろぬま》に。皮《かは》ばか
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