違《さうゐ》ないと、いや、全《まツた》くの事《こと》で。」

         第九

「凡《およ》そ人間《にんげん》が滅《ほろ》びるのは、地球《ちきう》の薄皮《うすかは》が破《やぶ》れて空《そら》から火《ひ》が降《ふ》るのでもなければ、大海《だいかい》が押被《おツかぶ》さるのでもない飛騨国《ひだのくに》の樹林《きはやし》が蛭《ひる》になるのが最初《さいしよ》で、しまいには皆《みんな》血《ち》と泥《どろ》の中《なか》に筋《すぢ》の黒《くろ》い虫《むし》が泳《およ》ぐ、其《それ》が代《だい》がはりの世界《せかい》であらうと、ぼんやり。
 なるほど此《こ》の森《もり》も入口《いりくち》では何《なん》の事《こと》もなかつたのに、中《なか》へ来《く》ると此通《このとほ》り、もつと奥深《おくふか》く進《すゝ》んだら早《は》や不残《のこらず》立樹《たちき》の根《ね》の方《はう》から朽《く》ちて山蛭《やまびる》になつて居《ゐ》やう、助《たす》かるまい、此処《こゝ》で取殺《とりころ》される因縁《いんねん》らしい、取留《とりと》めのない考《かんがへ》が浮《うか》んだのも人《ひと》が知死期《ちしご》に近《ちかづ》いたからだと弗《ふ》と気《き》が着《つ》いた。
 何《ど》の道《みち》死《し》ぬるものなら一|足《あし》でも前《まへ》へ進《すゝ》んで、世間《せけん》の者《もの》が夢《ゆめ》にも知《し》らぬ血《ち》と泥《どろ》の大沼《おほぬま》の片端《かたはし》でも見《み》て置《お》かうと、然《さ》う覚悟《かくご》が極《きはま》つては気味《きみ》の悪《わる》いも何《なに》もあつたものぢやない、体中《からだぢう》珠数生《じゆずなり》になつたのを手当次第《てあたりしだい》に掻《か》い除《の》け毟《むし》り棄《す》て、抜《ぬ》き取《と》りなどして、手《て》を挙《あ》げ足《あし》を踏《ふ》んで、宛《まる》で躍《をど》り狂《くる》ふ形《かたち》で歩行《あるき》出《だ》した。
 はじめの内《うち》は一|廻《まはり》も太《ふと》つたやうに思《おも》はれて痒《かゆ》さが耐《たま》らなかつたが、しまひにはげつそり痩《や》せたと、感《かん》じられてづきづき痛《いた》んでならぬ、其上《そのうへ》を用捨《ようしや》なく歩行《ある》く内《うち》にも入交《いりまじ》りに襲《おそ》ひをつた。
 既《すで》に目《め》も眩《く
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