ぎ取《と》つた。
 何《なに》にしても恐《おそろ》しい今《いま》の枝《えだ》には蛭《ひる》が生《な》つて居《ゐ》るのであらうと余《あまり》の事《こと》に思《おも》つて振返《ふりかへ》ると、見返《みかへ》つた樹《き》の何《なん》の枝《えだ》か知《し》らず矢張《やツぱり》幾《いく》ツといふこともない蛭《ひる》の皮《かは》ぢや。
 これはと思《おも》ふ、右《みぎ》も、左《ひだり》も前《まへ》の枝《えだ》も、何《なん》の事《こと》はないまるで充満《いツぱい》。
 私《わし》は思《おも》はず恐怖《きようふ》の声《こゑ》を立《た》てゝ叫《さけ》んだすると何《なん》と? 此時《このとき》は目《め》に見《み》えて、上《うへ》からぼたり/\と真黒《まツくろ》な瘠《や》せた筋《すぢ》の入《はい》つた雨《あめ》が体《からだ》へ降《ふり》かゝつて来《き》たではないか。
 草鞋《わらじ》を穿《は》いた足《あし》の甲《かふ》へも落《おち》た上《うへ》へ又《また》累《かさな》り、並《なら》んだ傍《わき》へ又《また》附着《くツつ》いて爪先《つまさき》も分《わか》らなくなつた、然《さ》うして活《い》きてると思《おも》ふだけ脈《みやく》を打《う》つて血《ち》を吸《す》ふやうな。思《おも》ひなしか一ツ一ツ伸縮《のびちゞみ》をするやうなのを見《み》るから気《き》が遠《とほ》くなって、其時《そのとき》不思議《ふしぎ》な考《かんがへ》が起《お》きた。
 此《こ》の恐《おそろし》い山蛭《やまびる》は神代《かみよ》の古《いにしへ》から此処《こゝ》に屯《たむろ》をして居《ゐ》て人《ひと》の来《く》るのを待《ま》ちつけて、永《なが》い久《ひさ》しい間《あひだ》に何《ど》の位《くらゐ》何斛《なんごく》かの血《ち》を吸《す》ふと、其処《そこ》でこの虫《むし》の望《のぞみ》が叶《かな》ふ其《そ》の時《とき》はありつたけの蛭《ひる》が不残《のこらず》吸《す》つたゞけの人間《にんげん》の血《ち》を吐出《はきだ》すと、其《それ》がために土《つち》がとけて山《やま》一ツ一|面《めん》に血《ち》と泥《どろ》との大沼《おほぬま》にかはるであらう、其《それ》と同時《どうじ》に此処《こゝ》に日《ひ》の光《ひかり》を遮《さへぎ》つて昼《ひる》もなほ暗《くら》い大木《たいぼく》が切々《きれ/″\》に一ツ一ツ蛭《ひる》になつて了《しま》うのに相
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