つた山《やま》は過《す》ぎて又《また》一ツ山《やま》が近《ちか》づいて来《き》た、此辺《このあたり》暫《しばら》くの間《あひだ》は野《の》が広々《ひろ/″\》として、前刻《さツき》通《とほ》つた本街道《ほんかいだう》より最《も》つと巾《はゞ》の広《ひろ》い、なだらかな一|筋道《すぢみち》。
 心持《こゝろもち》西《にし》と、東《ひがし》と、真中《まんなか》に山《やま》を一ツ置《お》いて二|条《すぢ》並《なら》んだ路《みち》のやうな、いかさまこれならば鎗《やり》を立《た》てゝも行列《ぎやうれつ》が通《とほ》つたであらう。
 此《こ》の広《ひろ》ツ場《ぱ》でも目《め》の及《およ》ぶ限《かぎり》芥子粒《けしつぶ》ほどの大《おほき》さの売薬《ばいやく》の姿《すがた》も見《み》ないで、時々《とき/″\》焼《や》けるやうな空《そら》を小《ちひ》さな虫《むし》が飛歩行《とびある》いた。
 歩行《ある》くには此《こ》の方《はう》が心細《こゝろぼそ》い、あたりがばツとして居《ゐ》ると便《たより》がないよ。勿論《もちろん》飛騨越《ひだごゑ》と銘《めい》を打《う》つた日《ひ》には、七|里《り》に一|軒《けん》十|里《り》に五|軒《けん》といふ相場《さうば》、其処《そこ》で粟《あは》の飯《めし》にありつけば都合《つがふ》も上《じやう》の方《はう》といふことになつて居《を》ります。其《そ》の覚悟《かくご》のことで、足《あし》は相応《さうおう》に達者《たツしや》、いや屈《くつ》せずに進《すゝ》んだ進《すゝ》んだ。すると、段々《だん/″\》又《また》山《やま》が両方《りやうはう》から逼《せま》つて来《き》て、肩《かた》に支《つか》へさうな狭《せま》いことになつた、直《す》ぐに上《のぼり》。
 さあ、之《これ》からが名代《なだい》の天生峠《あまふたうげ》と心得《こゝろえ》たから、此方《こツち》も其気《そのき》になつて、何《なに》しろ暑《あつ》いので、喘《あへ》ぎながら、先《ま》づ草鞋《わらぢ》の紐《ひも》を締直《しめなほ》した。
 丁度《ちやうど》此《こ》の上口《のぼりくち》の辺《あたり》に美濃《みの》の蓮大寺《れんたいじ》の本堂《ほんだう》の床下《ゆかした》まで吹抜《ふきぬ》けの風穴《かざあな》があるといふことを年経《とした》つてから聞《き》きましたが、なか/\其処《そこ》どころの沙汰《さた》で
前へ 次へ
全74ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング