》に、背尾を刎《は》ねた、皿に余る尺ばかりな塩焼は、まったく美味である。そこで、讃歎すると、上流、五里七里の山奥から活《いき》のまま徒歩で運んで来る、山爺《やまじじい》の一人なぞは、七十を越した、もう五十年余りの馴染《なじみ》だ、と女中が言った。してみると、おなじ獺《おそ》でも山獺が持参するので、伝説は嘘でない。しかし、お町の――一説では、上流五里七里の山奥から山爺は、――どの客にも言うのだそうである。
 水と、柳のせいだろう。女中は皆美しく見えた。もし、妻女、娘などがあったら、さぞ妍艶《けんえん》であろうと察しらるる。
 さて、「いらして、また、おいで遊ばして」と枝折戸でいう一種綿々たる余韻の松風に伝う挨拶は、不思議に嫋々《じょうじょう》として、客は青柳に引戻さるる思《おもい》がする。なお一段と余情のあるのは、日が暮れると、竹の柄の小提灯《こぢょうちん》で、松の中の径《こみち》を送出すのだそうである。小褄《こづま》の色が露に辷《すべ》って、こぼれ松葉へ映るのは、どんなにか媚《なまめ》かしかろうと思う。

「――お藻代さんの時が、やっぱりそうだったんですってさ。それに、もう十時すぎだっ
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