名告れ、名告らぬか、名告れ。……ボーン、)
 と云う時、稲妻が閃《ひら》めいて、遠い山を見るように天王寺の森が映った。
 皆ただ、蠅の音がただ、雷《はたたがみ》のように人々の耳に響いた。
 ただ一縮みになった時、
(ほう、)
 と心着いたように、物干のその声が、
(京から人が帰ったような。早や夜もしらむ。さらば、身代りの婦《おんな》を奪ろう!……も一つ他《ほか》にもある。両の袂《たもと》で持重《もちおも》ろう。あとは背負うても、抱いても荷じゃ。やあ、殿、上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]たち、此方衆《こなたしゅ》にはただ遊うだじゃいの。道すがら懇《ねんごろ》申した戯《たわむれ》じゃ。安堵《あんど》さっしゃれ、蠅は掌《たなそこ》へ、ハタと掴《つか》んだ。
 さるにても卑怯なの、は、は、は、梅干で朝の茶まいれ、さらばじゃ。)
 ばっと屋上《やのうえ》を飛ぶ音がした。
 フッと見ると、夜が白《しら》んで、浅葱《あさぎ》になった向うの蚊帳《かや》へ、大きな影がさしたっけ。けたたましい悲鳴が聞えて、白地の浴衣を、扱帯《しごき》も蹴出《けだ》しも、だらだらと血だらけの婦
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