やつ》が今居るあたりまで、ものの推込《おしこ》んだ様子がある。なぜか、向うの、その三階の蚊帳が、空へずッと高くなったように思う。
 ちょうど、子爵とその婆《ばばあ》との間に挟まる、柱に凭《もた》れた横顔が婦人《おんな》に見える西洋画家は、フイと立って、真暗《まっくら》な座敷の隅へ姿を消した。真個《しん》に寐入っていたのでは無かったらしい。
(残酷というのはね、仮にもしろ、そんな、優しい、可憐《いじらし》い、――弟のために身代りになるというような、若い人の生命《いのち》を「とりあげ」に来たなどという事なんだ。世の中には、随分、娑婆塞《しゃばふさ》げな、死損《しにぞこな》いな、)
 と子爵も間近に、よくその婆々《ばばあ》を認めたろう、……当てるように、そう言って、
(邪魔な生命《いのち》もあるもんだ。そんな奴《やつ》の胸に爪を立てる方がまだしもだな。)
(その様な生命《いのち》はの、殿、殿たちの方で言うげな、……病《やみ》ほうけた牛、痩《や》せさらぼえた馬で、私等《わしら》がにも役にも立たぬ。……あわれな、というはの、膏《あぶら》の乗った肉じゃ、いとしいというはの、薫《かおり》の良《い》い
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