ないか。
(どこへ行《ゆ》くんだい、そして、)ッて聞いて見た。
(同じ処への、)
(吉原か。)
(さればい、それへ。)
とこう言う。
(何しに行《ゆ》くんだね。)
(取揚げに行《ゆ》く事よ。)
ああ、産婆か。道理で、と私は思った。今時そんなのは無いかも知れんが、昔の産婆《ばあ》さんにはこんな風なのが、よくあった。何だか、薄気味の悪いような、横柄で、傲慢《ごうまん》で、人を舐《な》めて、一切心得た様子をする、檀那寺《だんなでら》の坊主、巫女《いちこ》などと同じ様子で、頼む人から一目置かれた、また本人二目も三目も置かせる気。昨日《きのう》のその時なんか、九目《せいもく》という応接《あしらい》です。
なぜか、根性曲りの、邪慳《じゃけん》な残酷なもののように、……絵を見てもそうだろう。産婦が屏風《びょうぶ》の裡《うち》で、生死《いきしに》の境、恍惚《うっとり》と弱果てた傍《わき》に、襷《たすき》がけの裾端折《すそはしょり》か何かで、ぐなりとした嬰児《あかんぼ》を引掴《ひッつか》んで、盥《たらい》の上へぶら下げた処などは、腹を断割《たちわ》ったと言わないばかり、意地くねの悪い姑《しゅうとめ
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