のが、不思議に嬉しくもあり、また……幼い了簡《りょうけん》だけれども、何か、自分でも立派に思った。
(真北じゃな、ああ、)
 とびくりと頷《うなず》いて、
(火の車で行《ゆ》かさるか。)[#「)」は底本では「」」]
 馬鹿にしている、……此奴《こいつ》は高利貸か、烏金《からすがね》を貸す爺婆《じじばば》だろうと思ったよ。」
 と民弥は寂《さみ》しそうなが莞爾《にっこり》した。
 梅次がちっと仰向《あおむ》くまで、真顔で聞いて、
「まったくだわねえ。」
「いや、」
 民弥は、思出したように、室《へや》の内《なか》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》しながら、
「烏金……と言えば、その爺婆は、荒縄で引括《ひっくく》って、烏の死んだのをぶら下げていたのよ。」
 梅次は胸を突かれたように、
「へい、」と云って、また、浅葱《あさぎ》のその団扇《うちわ》の上へ、白い指。
「堪《たま》らない。幾日《いくか》経《た》ったんだか、べろべろに毛が剥《は》げて、羽がぶらぶらとやっと繋《つなが》って、地《じ》へ摺《す》れて下ってさ、頭なんざ爛《ただ》れたようにべとべとしている、その臭気《におい》だよ。何とも言えず変に悪臭いのは、――奴《やつ》の身体《からだ》では無い。服装《みなり》も汚くはないんだね、折目の附いたと言いたいが、それよりか、皺《しわ》の無いと言った方が適《い》い、坊さんか、尼のような、無地の、ぬべりとしたのでいた。
 まあ、それは後での事。
(何の車?……)と聞返した。
(森の暗さを、真赤《まっか》なものが、めいらめいら搦《から》んで、車が飛んだでやいの。恐ろしやな、活《い》きながら鬼が曳《ひ》くさを見るかいや。のう殿。私《わし》は、これい、地板《じびた》へ倒りょうとしたがいの。……うふッ、)と腮《あご》の震えたように、せせら笑ったようだっけ、――ははあ……」

       十五

「今の腕車《くるま》に、私が乗っていたのを知って、車夫《わかいし》が空《から》で駆下りた時、足の爪を轢《ひ》かれたとか何とか、因縁を着けて、端銭《はした》を強請《ゆす》るんであろうと思った。
 しかし言種《いいぐさ》が変だから、
(何の車?)ともう一度……わざと聞返しながら振返ると、
(火の車、)
 と頭から、押冠《おっかぶ》せるように、いやに横柄に言って、もさりと歩行《ある》いて寄る。
 なぜか、その人を咒《のろ》ったような挙動《しぐさ》が、無体に癪《しゃく》に障ったろう。
(何の車?)と苛々《いらいら》としてこちらも引返した。
(火の車。)
 じりじりとまた寄った。
(何の車?)
(火の車、)
(火の車がどうした。)
 とちょうど寄合わせた時、少し口惜《くやし》いようにも思って、突懸《つっかか》って言った、が、胸を圧《おさ》えた。可厭《いや》なその臭気《におい》ったら無いもの。
(私《わし》に貸さい、の、あのや、燃え搦《から》まった車で、逢魔《おうま》ヶ時に、真北へさして、くるくる舞いして行《ゆ》かさるは、少《わか》い身に可《よ》うないがいや、の、殿、……私《わし》に貸さい。車借りて飛ばしたい、えらく今日は足がなえたや、やれ、の、草臥《くたび》れたいの、やれやれ、)
 と言って、握拳《にぎりこぶし》で腰をたたくのが、突着けて、ちょうど私の胸の処……というものは、あの、急な狭い坂を、奴《やつ》は上の方に居るんだろう。その上、よく見ると、尻をこっちへ、向うむきに屈《かが》んで、何か言っている。
 癩《かったい》に棒打《ぼううち》、喧嘩《けんか》にもならんではないか。
(どこへ行《ゆ》くんだい、そして、)ッて聞いて見た。
(同じ処への、)
(吉原か。)
(さればい、それへ。)
 とこう言う。
(何しに行《ゆ》くんだね。)
(取揚げに行《ゆ》く事よ。)
 ああ、産婆か。道理で、と私は思った。今時そんなのは無いかも知れんが、昔の産婆《ばあ》さんにはこんな風なのが、よくあった。何だか、薄気味の悪いような、横柄で、傲慢《ごうまん》で、人を舐《な》めて、一切心得た様子をする、檀那寺《だんなでら》の坊主、巫女《いちこ》などと同じ様子で、頼む人から一目置かれた、また本人二目も三目も置かせる気。昨日《きのう》のその時なんか、九目《せいもく》という応接《あしらい》です。
 なぜか、根性曲りの、邪慳《じゃけん》な残酷なもののように、……絵を見てもそうだろう。産婦が屏風《びょうぶ》の裡《うち》で、生死《いきしに》の境、恍惚《うっとり》と弱果てた傍《わき》に、襷《たすき》がけの裾端折《すそはしょり》か何かで、ぐなりとした嬰児《あかんぼ》を引掴《ひッつか》んで、盥《たらい》の上へぶら下げた処などは、腹を断割《たちわ》ったと言わないばかり、意地くねの悪い姑《しゅうとめ
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