り》を俯向《うつむ》いて見透かす、民弥の顔にまた陰気な影が映《さ》した。
「でもね、当りましたわ、先生、やっぱり病人があるのよ。それでもって、寝ないでいるの、お通夜《つや》をして……」
「お通夜?」
と一人、縁に寄った隅の方から、声を懸けた人がある。
「あの……」
「夜伽《よとぎ》じゃないか。」と民弥が引取《ひっと》る。
「ああ、そうよ。私は昨夜《ゆうべ》も、お通夜だってそう言って、才《さあ》ちゃんに叱られました。……その夜伽なのよ。」
「病人は……女郎衆《じょうろしゅ》かい。」
「そうじゃないの。」
とついまたものいいが蓮葉《はすは》になって、
「照吉さんです、知ってるでしょう。」
民弥は何か曖昧《あいまい》な声をして、
「私は知らないがね、」
けれども一座の多人数は、皆耳を欹《そばだ》てた。――彼は聞えた妓《おんな》である――中には民弥の知らないという、その訳をさえ、よく心得たものがある。その梅次と照吉とは、待宵《まつよい》と後朝《きぬぎぬ》[#ルビの「きぬぎぬ」は底本では「きねぎぬ」]、と対《つい》に廓《くるわ》で唄われた、仲の町の芸者であった。
お三輪はサソクに心着いたか、急に声も低くなって、
「芸者です、今じゃ、あの、一番綺麗な人なんです、芸も可《い》いの。可哀相だわ、大変に塩梅《あんばい》が悪くって。それだもんですから、内は角町《すみちょう》の水菓子屋で、出ているのは清川(引手茶屋)なんですけれど、どちらも狭いし、それに、こんな処でしょう、落着いて養生も出来ないからって……ここでも大切な姉《ねえ》さんだわ。ですから皆《みんな》で心配して、海老屋でもしんせつにそう云ってね、四五日前から、寮で大事にしているんですよ。」
「そうかい、ちっとも知らなかった。」と民弥はうっかりしたように言う。
「夜伽《よとぎ》をするんじゃ、大分悪いな。」と子爵が向うから声を懸けた。
「ええ、不可《いけな》いんですって、もうむずかしいの。」
とお三輪は口惜《くや》しそうに、打附《ぶッつ》けて言ったのである。
「何の病気かね。」
と言う、魯智深の頭は、この時も天井で大きく動いた。
「何んですか、性《しょう》がちっとも知れないんですって。」
民弥は待構えてでもいたように、
「お医師《いしゃ》は廓《くるわ》のなんだろう、……そう言っちゃ悪いけれど。」
「いいえ、立派な国手《せんせい》も綱曳《つなびき》でいらっしゃったんですの。でもね、ちっとも分りませんとさ。そしてね、照吉さんが、病気になった最初《はじめ》っから、なぜですか、もうちゃんと覚悟をして、清川を出て寮へ引移るのにも、手廻りのものを、きちんと片附けて、この春から記《つ》けるようにしたっちゃ、威張っていた、小遣帳《こづかいちょう》の、あの、蜜豆《みつまめ》とした処なんか、棒を引いたんですってね。才ちゃんはそう言って、話して、笑いながら、ほろほろ涙を落すのよ。
いつ煩っても、ごまかして薬をのんだ事のない人が、その癖、あの、……今度ばかりは、掻巻《かいまき》に凭懸《よりかか》っていて、お猪口《ちょこ》を頂いて飲むんだわ。それがなお心細いんだって、皆《みんな》そう云うの。
私も、あの、手に持って飲まして来ます。
(三輪《みい》ちゃん、さようなら。)って俯向《うつむ》くんです、……枕《まくら》にこぼれて束ね切れないの、私はね、櫛《くし》を抜いて密《そっ》と解かしたのよ……雲脂《ふけ》なんかちっとも無いの、するする綺麗ですわ、そして煩ってから余計に殖《ふ》えたようよ……髪ばかり長くなって、段々命が縮むんだわねえ。――兄さん、」
と、話に実が入《い》るとつい忘れる。
「可哀相よ。そして、いつでもそうなの、見舞に行《ゆ》くたんびに(さようなら)……」
十一
「それはもう、きれいに断念《あきら》めたものなの、……そしてね、幾日《いくか》の何時頃に死ぬんだって――言うんですとさ、――それが延びたから今日はきっと、あれだって、また幾日の何時頃だって、どうしてでしょう。死ぬのを待っているようなの。
ですからね、照吉さんのは、気病《きやみ》だって。それから大事の人の生命《いのち》に代って身代《みがわり》に死ぬんですって。」
「身代り、」と聞返した時、どのかまた明《あかり》の加減で、民弥の帷子《かたびら》が薄く映った。且つそれよりも、お三輪の手絡《てがら》が、くっきりと燃ゆるように、声も強い色に出て、
「ええ、」
と言う、目も※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》られた気勢《けはい》である。
「この方が怪談じゃ、」と魯智深が寂しい声。堀子爵が居直って、
「誰の身代りだな、情人《いいひと》のか。」
「あら、情人《いいひと》なら兄さんですわ、」
と臆《おく》せず……
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