の、本で読んだのぐらいな処で、それも拵《こしら》えものらしいのが多いんですから、差出てお話するほどのがありません。生憎《あいにく》……ッても可笑《おかし》いんですが、ざらある人魂《ひとだま》だって、自分で見た事はありませんでね。怪《あやし》い光物といっては、鼠が啣《くわ》え出した鱈《たら》の切身が、台所でぽたぽたと黄色く光ったのを見て吃驚《びっくり》したくらいなものです。お話にはなりません。
 けれども、嬉しがって一人で聞かしてばかり頂いていたんでは、余り勝手過ぎます。申訳が無いようですから、詰《つま》らない事ですが、一つ、お話し申しましょうか。
 日の暮合いに、今日、現に、此家《ここ》へ参ります途中でした。」

       九

「可恐《こわ》い事、ちょっと、可恐くって。」
 と例の美しい若い声が身近に聞えて、ぞっとするように袖を窄《すぼ》めた気勢《けはい》がある。
「私に附着《くッつ》いていらっしゃい。」と蘭子が傍《そば》で、香水の優しい薫《かおり》。
「いや、下らないんですよ、」
 と、慌てたように民弥は急いで断って、
「ちと薄気味でも悪いようだと、御愛嬌《ごあいきょう》になるんだけれど……何《なん》にも彼《か》にも、一向要領を得ないんです、……時にだね、三輪《みい》ちゃん。」
 とちと更《あらた》まって呼んだ時に、皆《みんな》が目を灌《そそ》ぐと、どの灯《あかり》か、仏壇に消忘れたようなのが幽《かすか》に入って、スーと民弥のその居直った姿を映す。……これは生帷《きびら》の五ツ紋に、白麻の襟を襲《かさ》ねて、袴《はかま》を着《ちゃく》でいた。――あたかもその日、繋《つな》がる縁者の葬式《とむらい》を見送って、その脚で廻ったそうで、時節柄の礼服で宵から同じ着附けが、この時際立って、一人、舞台へ出たように目に留まった。麻は冷たい、さっくりとして膚《はだ》にも着かず、肩肱《かたひじ》は凜々《りり》しく武張《ぶば》ったが、中背で痩《や》せたのが、薄ら寒そうな扮装《なり》、襟を引合わせているので物優しいのに、細面《ほそおもて》で色が白い。座中では男の中《うち》の第一《いっち》年下の二十七で、少々《わかわか》しいのも気の弱そうに見えるのが、今夜の会には打ってつけたような野辺送りの帰りと云う。
 気のせいか、沈んで、悄《しお》れて見える処へ、打撞《ぶつ》かったその冷い紋着《もんつき》で、水際の立ったのが、薄《うっす》りと一人浮出したのであるから、今その呼懸けたお三輪さえ、声に応じて、結綿《ゆいわた》の綺麗な姿が、可恐《こわ》そうな、可憐《かれん》な風情で、並んでそこへ、呼出されたように、座上の胸に描かれた。
「つかん事を聞くがね、どこかこの近所で、今夜あたりお産をしそうな人はあるまいか。」
 と妙な事を沈んで聞く。
「今夜……ですか。」とお三輪はきっぱり聞返す。
「……そうだね、今夜、と極《き》まった事も無いけれど、この頃にさ、そういう家《うち》がありやしないかい。」
「嬰児《あかんぼ》が生れる許《とこ》?」
「そうさ、」
「この近所、……そうね。」
 せっかく聞かされたものを、あれば可《い》いが、と思う容子《ようす》で、しばらくして、
「無いわ、ちっと離れていては悪くって、江戸町辺。」
「そこらにあるかい。」
 と気を入れる。
「無い事よ、――やっぱり、」とうっかりしたように澄まして言う。
「何だい、詰《つま》らない。」
 と民弥は低声《こごえ》に笑《えみ》を漏らした。
「ちょいと、階下《した》へ行って、才《さあ》ちゃんに聞いて来ましょうか。」
「…………」
「ええ、兄さん、」
 と遣《や》ったが、フト黙って、
「私、聞いて来ましょう、先生。」
「何、可《い》い、それには及ばんのだよ。……いいえ、少しね、心当りな事があるもんだから、そらね。」
 と斜《ななめ》になって、俯向《うつむ》いて幕張《まくばり》の裾《すそ》から透かした、ト酔覚《よいざめ》のように、顔の色が蒼白《あおじろ》い。
「向うに、暗く明《あかり》の点《つ》いた家《うち》が一軒あるだろう……近所は皆《みんな》閉《しま》っていて。」
「はあ、お医者様のならび、あすこは寮よ……」
「そうだ、公園|近《ぢか》だね。あすこへ時々客では無い、町内の人らしいのが、引過《ひけす》ぎになってもちょいちょい出たり入ったりするから、少しその心当りの事もあるし、……何も夜中の人出入りが、お産とは極《きま》らないけれど、その事でね。もしかすると、そうではあるまいか、と思ったからさ。何だか余り合点《のみこ》み過ぎたようで妙だったね。」

       十

「それに何だか、明《あかり》も陰気だし、人の出入りも、ばたばたして……病人でもありそうな様子だったもんだから。」
 と言って、その明《あか
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