とさして、どうせ顕《あらわ》れるものなら真昼間《まっぴるま》おいでなさい、明白で可《い》い、と皆さんとも申合せていましたっけ。
いや、こうなると、やっぱり暗い方が配合《うつり》が可《よ》うございます、身が入りますぜ、これから。」
と言う、幹事雑貨店主の冴《さ》えた声が、キヤキヤと刻込《きざみこ》んで、響いて聞えて、声を聞く内だけ、その鼻の隆《たか》い、痩《や》せて面長《おもなが》なのが薄ら蒼《あお》く、頬のげっそりと影の黒いのが、ぶよぶよとした出処《でどこ》の定かならぬ、他愛の無い明《あかり》に映って、ちょっとでも句が切れると、はたと顔も見えぬほどになったのである。
八
灯《あかり》は水道尻のその瓦斯《がす》と、もう二ツ――一ツは、この二階から斜違《はすっかい》な、京町《きょうまち》の向う角の大きな青楼の三階の、真角《まっかど》一ツ目の小座敷の障子を二枚両方へ明放した裡《うち》に、青い、が、べっとりした蚊帳《かや》を釣って、行燈《あんどう》がある、それで。――夜目には縁も欄干《らんかん》も物色《うかが》われず、ただその映出《うつしだ》した処だけは、たとえば行燈の枠の剥《は》げたのが、朱塗《しゅぬり》であろう……と思われるほど定かに分る。……そこが仄明《ほのあかる》いだけ、大空の雲の黒さが、此方《こなた》に絞った幕の上を、底知れぬ暗夜《やみ》にする。……が、廓《くるわ》が寂れて、遠く衣紋坂《えもんざか》あたりを一つ行《ゆ》く俥《くるま》の音の、それも次第に近くはならず、途中の電信の柱があると、母衣《ほろ》が凧《いかのぼり》。引掛《ひっかか》りそうに便《たより》なく響《ひびき》が切れて行《ゆ》く光景《ありさま》なれば、のべの蝴蝶《ちょうちょう》が飛びそうな媚《なまめ》かしさは無く、荒廃したる不夜城の壁の崩れから、菜畠になった部屋が露出《むきだ》しで、怪しげな朧月《おぼろづき》めく。その行燈の枕許《まくらもと》に、有ろう? 朱羅宇《しゅらお》の長煙管《ながぎせる》が、蛇になって動きそうに、蓬々《おどろおどろ》と、曠野《あれの》に※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《さまよ》う夜の気勢《けはい》。地蔵堂に釣った紙帳より、かえって侘《わび》しき草の閨《ねや》かな。
風の死んだ、寂《しん》とした夜で、あたかも宙に拡げたような、蚊帳のその裙《すそ》が、そよりと戦《そよ》ぐともしないのに、この座の人の動くに連れて、屋の棟とともに、すっと浮いて上ったり、ずうと行燈と一所に、沈んで下ったりする。
もう一つは同じ向側の、これは低い、幕の下に懸《かか》って、真暗《まっくら》な門《かど》へ、奥の方から幽かに明《あかり》の漏れるのが、戸の格子の目も疎《まばら》に映って、灰色に軒下の土間を茫《ぼう》と這《ほ》うて、白い暖簾《のれん》の断《ちぎ》れたのを泥に塗《まみ》らした趣がある。それと二つである。
その家は、表をずッと引込《ひっこ》んだ処に、城の櫓《やぐら》のような屋根が、雲の中に陰気に黒い。両隣は引手茶屋で、それは既に、先刻《さっき》中引けが過ぎる頃、伸上って蔀《しとみ》を下ろしたり、仲の町の前後《あとさき》を見て戸を閉めたり、揃って、家並《やなみ》は残らず音も無いこの夜更《よふけ》の空を、地《じ》に引く腰張の暗い板となった。
時々、海老屋の大時計の面《つら》が、時間《とき》の筋を畝《うね》らして、幽《かすか》な稲妻に閃《ひら》めき出るのみ。二階で便《たよ》る深夜の光は、瓦斯《がす》を合わせて、ただその三つの灯《ともしび》となる。
中のどれかが、折々|気紛《きまぐ》れの鳥影の映《さ》すように、飜然《ひらり》と幕へ附着《くッつ》いては、一同の姿を、種々《いろいろ》に描き出す。……
時しもありけれ、魯智深が、大《おおい》なる挽臼《ひきうす》のごとき、五分刈頭を、天井にぐるりと廻して、
「佐川さんや、」
と顔は見えず……その天井の影が動く。話の切目で、咳《しわぶき》の音も途絶えた時で、ひょいと見ると誰の目にも、上にぼんやりと映る、その影が口を利くかと思われる。従って、声もがッと太く渦巻く。
「変に静まりましたな、もって来いという間《ま》の時じゃ、何ぞお話し下さらんか。宵からまだ、貴下《あなた》に限って、一ツも凄《すご》いのが出ませんでな、所望ですわ。」
成程、民弥は聞くばかりで、まだ一題も話さなかった。
「差当り心当りが無いものですから、」
とその声も暗さを辿《たど》って、
「皆さんが実によく、種々《いろいろ》な可恐《おそろし》いのを御存じです。……確《たしか》にお聞きになったり、また現に逢《あ》ったり見たりなすっておいでになります。
私は、又聞きに聞いたのだ
前へ
次へ
全25ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング